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声の交差点 (1)倉敷考古館と山本慶一先生を想い

在りし日の山本慶一先生
竹内氏を通じ、ご遺族より写真提供

 山本慶一先生は私が中学生の時の先生です。亡くなられて22年も過ぎました。長く教壇に立たれ、倉敷市文化財保護委員も務められ、愛する地元、下津井についての多くの著書も出版されました。手品も上手で、江戸時代の幻燈研究者でもあったと聞きました。下津井今昔ばなしの講演には大勢のファンがいたと伝えられています。

 私は中学生の頃、学校に置かれた展示ケ−スに入れられた土器片(これも先生が展示されていたのかもしれない)を見た瞬間、自分も「触れてみたい」と言う気持が湧いたのです。

 早速にスコップを持って遺跡へと行き、採集を続けていると、その行動が先生に知れる事となり、いきなり教員室に呼ばれ、きつく叱られました。

  しかしこれがきっかけで、先生からいろいろと、声を掛けられ瀬戸内沿岸部や塩飽諸島などの遺跡へ連れられ、多くの事を学んだのです。学び友人と二人で、先生とフィルドへ行くのが楽しみとなり、益々、表面採集活動に熱を入れる様になりました。

 中でも櫃石島の踏査では多数の石器を採集し、冬の日の帰りの定期船の船底客室で、火鉢を囲みながら採集した石器を見せ合い、これがナイフ、尖頭器だと教えられ当時の人の石器作りの技に驚き、感動さえしました。

  そのような折りでした。今までに採集した櫃石島の資料を倉敷考古館に寄贈する事となり、先生に連れられ初めて考古館を訪れました。

  緊張した私は、笑顔で間壁館長ご夫妻に迎えられ、香りの良いお茶を頂き少し落ち着き、今までの活動の話をした時間は「あっ」と言う間に過ぎました。後に櫃石島の資料は「香川県坂出市櫃石島採集の石器」として『倉敷考古館研究集報4号』(1968年1月)となって、私と友人の名前も載り、初めての出来事に嬉しさが込み上げました。

  フィルドだった塩飽では昭和53年から瀬戸大橋の工事が始まり、私の採集活動も次第に直島諸島へと移りました。私は家業の理容業に就き、山本先生も時に散髪にみえられ、採集した遺物を見てもらい、時には考古館へも訪れ、こうした時間が楽しみになっていました。

 こうした時、先生の病が発見され、手術も受けられましたが平成5年8月3日永眠されました。

  先生ご自身は病気の進行と闘いながら、さまざまな蒐集した資料の整理を急ぎ、それぞれの機関に寄贈されました。考古館にも先生が収集された遺物が、寄贈されているとのことでした。山本先生との縁で考古館へ出入りするようになった私は、今も考古館には時々伺って、間壁先生から色々勉強しています。

  また山本先生が収集されていた、下津井沖の瀬戸内海から引き揚げられたナウマン象やシカの動物化石1000点近くは、山本コレクションとして倉敷市自然史博物館に託され、展示されています。入口にある親子のナウマン象の展示も、先生のコレクションあってのことと思っています。

  先生は倉敷に大きな貢献をされたと思っています。先生が亡くなる1年前の大坂城残石の調査が、私との最後の活動でしたがその時、言われたのが「人に喜んでもらうのが一番嬉しい」でした。あの時の笑顔がいまだに忘れられず、私の心の中には、今も山本慶一先生は生き続けて見守ってくれています。
  そうして先生との関係で今も訪れている考古館は、先生と私を今も結んでくれるところです。いつまでも変わらずにあって欲しいです。

  この欄は、考古館や倉敷のことなら何を話題にしてもよいとあったので、正月に私の想いを書かして頂きました。

倉敷市 竹内信三



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