(10) 文安二二年

高梁川酒津川原で採集
  1行目 南無阿弥・・
  2行目 文安二二年・・

 「文安」といえば室町時代の元号、正確に言えば文安元年から六年までで、西暦では1444〜49年である。ところでタイトルは文安二二年、文安には22年はない???それでも写真の古い屋根瓦凸面上には、2行目「安」字の下に、小字だが横並びに間違いなく二二と彫られている。大体年号銘を刻んだ瓦など、めったにあるものではないので、考古学には有名な前科もあり、また捏造?・・とまでいかなくともイタズラ?

 とんでもない・・・この二二年こそ、正真正銘1447年文安四年の瓦の証明なのである。

 文字にはいろいろと異体字がある。四の字も、横並びに二二と記したり、ときには縦に二を二つ重ねたり。年号に用いられているのが目に付くが、同じ年でしかも同じところで、四年だったり、二二年だったりするから、当時はどちらでもよかったということだろう。十四年や二四年などの四がこの字で書かれた場合もある。月・日ではあまり例を見ないが、皆無ではない。人名などではお目にかかった覚えがない。

 しかも年号にこうした二二が用いられた時期は、ちょっと調べた範囲だけではあるが、平安期も末12世紀中ごろから、戦国期も終わる16世紀も後半頃まで、大きく見ればまさに地方の時代の中世である。だからこそこの瓦が、あるいは年銘が偽作でない証明といったのである。

 そのようなことを知る人には偽刻が出来る、と言われるかもしれないが、これは中学生が、先にも取り上げた、倉敷市酒津遺跡、高梁川の川原で採集したものの一つである。中学生がこうした歴史の中の細々した文字のことまで習う暇もないだろう。考古学者と名乗る人でも、知らぬ人が多いのでは。大変著名な歴史学者さえ二二年を二十二年として笑われたとか。

 いずれにしても酒津遺跡には、弥生時代以降中・近世にいたるまで、各時期の遺物が散布するが、15世紀中ごろ、この地に寺とまではいかなくとも、堂なども建っていたということである。

 つい先般(2007.9.1)新聞などで、岡山市賞田廃寺址の調査中にも、同様な屋根棟の上を葺く瓦の断片に「文明 丙申 十二日 住 」と彫られていたことが、報道された。これは文明八年(1476)で、酒津の瓦より30年ばかり新しいが、両者は近い時期である。賞田廃寺は7世紀中ごろに創建されているが、室町期にもまた本堂などの再建が行われたことがわかる重要な遺物であった。ここでも中世以前で年号が分かる文字の書かれた瓦は、珍しく貴重な資料とされた。

 酒津の瓦は「南無阿弥・・・「文安二二年・・・と二行に書かれた部分だけが残るが、あまり多くの文字はないようだ。賞田の場合も文字数が多いとは思えない。やはり日時を示すのが中心のようである。建造物の棟が完成したのを記録するなら風雨にさらされない場所がいい筈だ。屋内に築造年や施工者などを記した、棟札も作られているのが普通である。

 瓦の文字は、屋根棟のてっぺんに外向きに書かれたものだ。いったい何のためだったのか。天に向いて、建造物の完成を告げ、天空自然界での安全祈願でも行ったのだろうか。棟の瓦は「雁振り瓦」とも呼ばれている。空飛ぶ鳥に知らしたのか。歴史書にかかれることの無い、中世人の心のひだ。



1979年(昭和54)3月12日 月 曇
 酒津の遺跡分布確認調査が始まる。荷運び、みんなの集合もあり10時頃から作業。予定より水が増えていて、川原で車がぬめりこんで大変。よそのダンプカーに上げてもらう。多くの人が手伝いにきてくれた。(酒津の川原では、増水のたびに遺跡が破壊されるため、倉敷市が数年がかりで、遺跡状況確認調査を計画、考古館も可能な範囲で参加する)
  

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