(107) 女(め)・賣(め)(売)・比賣(ひめ)(比売)

倉敷市真備町出土
富比売の墓地買地券部分
2行目上から「口白髪部田比登富比売・・」 と読める

 最近は子供に付けられる名前が,ずいぶんと変わったものになった。一体なんと読むのだろうかと思うような漢字の並ぶものも多い。また名前の文字だけ見たのでは、男女の性別が分からないものが多くなった。半世紀前頃までの女性の名前は、圧倒的に「子」が付く名前だったが、今頃名付けられている女児の名前に、「子」を見つけるのは難しい。

 しかしこの「子」つきの女性名も、江戸時代の庶民の女子名ではない。明治時代になっての新しい教育や感覚によって、かつては別世界であった、貴族関係者や宮中周辺でよく用いられていた、女性名へ「子」の付く名前への、願望だったともいえよう。

 親にとっては、意識したことでなくとも、大切なわが子への名付けが、自ずと社会での願望や規制、流行やらを表現していて、名前そのものが時の歴史の一端を示してもいるといえるだろう。

 考古資料中には、個人名の無いものが全てと言っても良いが、この倉敷考古館内では大変珍しくも、一人の奈良時代の女性名を見ることが出来る。展示品中に左の写真で示した板状の焼き物の上に「備中国下道郡八田郷・・・」に始まる文字を刻むものがある。これは全国的にも類を見ない奈良時代の墓地買地券で、この主人公の名前が〔白髪部毘登〕富比売である。

 〔 〕内は「しらかべひと」と読むが、これは今で言えば氏名の「氏」とか姓名の「姓」に当たるものである。また文字について詳しいことを言えば、「毘」字は焼き物の上の文字では、田へんに比をつくりとした文字なのだが、簡単な辞書にないので、別字で失礼。

 名前の「富」の字に当たるあたり、写真の文字二行目で、傷が激しいので推定の読みなのだが、ともかくその下の「比賣(比売)」の文字は確かである。この人物「ひめ」が付くからには女性に間違いないものと見てよいだろう。

 これには天平宝字7(763)年の年銘もあり、珍しい遺物という点では、倉敷考古館の展示品中に限らず、わが国全体で見てもトップクラスの遺物なのである。このことは既に、このホームページ中の館展示品紹介をした中に、簡単だが紹介済みなので、先ずはそれを参照されたい。

 しかしこの遺物は、江戸時代終わり近くに出土したが、30年ばかり前までは、中央の学者に偽物として無視され続けてきた。というのも、墓地買地券などと言う、見慣れも聞き慣れもしないこの種の遺物は、中国で主には漢代以降、道教思想の下で習俗化して、数多く製作されてきているが、わが国での発見例は全く無かったのである。

 この遺物が、やっと学者間で市民権を得た経緯に興味のある方は、『倉敷考古館研究集報15号』1980年を見ていただきたいが、これが間違いなく奈良時代のものと認められた証明の一つは、江戸時代以来の解読中で、保存が悪い部分だった事もあり、意味不明であった箇所の文字を、読み直したことでもあった。そこに始めて現れてきたのは、先に示した女性名だったのである。

 古代の個人名などには、縁遠い資料ばかり見慣れたものにとっては、「とみひめ」さんは一般的な女性名に思えた。というのも考古学には身近な、わが国の数少ない奈良時代の墓誌銘の中に、鳥取県出土の火葬骨蔵器に「・・伊(い)福吉部(ふきべ)徳足比売(とくたりひめ)臣・・」とあったことなどから、あまり深く考えなかったともいえる。

 しかし当時の女性名を正倉院文書の中で、ちょっと探してみても「売・女」が付くのは普通であっても「比売」は、少々では見つからない。やっとみつけたものは「多比売」・「加比売」など・・・だがこれは「たひ=鯛」さんや「かひ=貝」さんで、その名の後ろに「売」が付いたと見るほうが良い。

 『古事記』『日本書紀』の古い時期の話には、女は比売(媛)、男は日子(彦)がつくのが当たり前と言うぐらいであるが、これは過去の人、祖先神に奉る敬称だったようにも思われる。となると先に示した〔伊福吉部〕徳足さんも、女性で死後に「比売」が付いたほうが合理的な名前に思える。ただ彼女は中央宮廷で働き、位を授かっている。

 ではわれ等の「富比売」さんも、生前は「とみ」さん、死後全くの庶民だが、墓地買地券を作って貰えるような女性だったので、女性の尊称「比売」さんになったのだろうか。これは本人の生前の才覚か・・・家族か一族の財力か・・それとも隠された身分ある人か?

 正倉院文書の中には、この買地券出土地に極めて近い、同じ備中国の一角で、税金未払のまま死んだ人の名簿が、ごく一部だけだが残っていた。

 この「備中国大税負死亡人別帳」には44名の名前があるが、そのうち「売」が付く名前は14名、これらの中には「麻呂売」「酒見売」「真虫売」「羊売」「事无売」「嶋売」・・等々・・・みな女性と見るべきだろう。売がなければ性別は分からない。この女性たちは富比売さんより24年昔に死亡。

 奈良時代には、現代社会以上に性別の分かりにくい名前ばかりである。現代社会の書類には全て性別欄があるように、古代国家の書類では、女性は名前の後ろに売・女をつけて、区別したのだろうと思う。もちろんもともと「売」や「女」が付いた人もかなりいたと思う。・・・ただ貴族や有名人は著名ということで、別格に扱われ、記載では「め」付きでないようだ・・・

 これとは別に奈良時代人にとって、女性に「比売」を付ける場合はどのような意味を持っていたのだろうか?発音は同じ「比売と媛と姫」・・・・時代と共に、「ひめ」の意味はどのように変化していったのか?・・・・

 もし次世代に「ひめ」と名付ける者が現れるとしたら・・・・

 「それは非女と書く」・・・といって喜んでいるのは誰だ!!


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