(117)鏡 その1

 現在「鏡」といえば、誰しも1日に1度以上は、それで自分と対面しているのではなかろうか。また無精者で鏡などには縁が無いと思っている人でも、たとえそれが車のバックミラーでも、また商店のショウウインドー、窓や戸口のガラスであっても、どこかに自分が映っている時には、つい視線を止めるのではなかろうか。

 いま自分の周辺にある鏡、あるいは鏡の役をするものは、当然自分や周辺をそのまま(左右が逆などあまり気にせず)写すものと思いこんでいる者に、鏡が全く違った役を、担っているのを見ると、少々気味悪くも思えるものである。

 もし古代人が、大量の鏡の集められた中に映ずるものを見た時、不思議な世界の幻想を見ても不思議は無かろう・・・・という思いを実感したのは、実はこれも先に話題としたイラン旅行での「ついで」の体験であった。

 (私的な海外の小旅行しか望めないものにとっては、行き先で、つい気になったものの写真を撮りすぎる。自分で面白いと思ったことは、ついしゃべったり、写真も見せたくなる・・・・と言うことで、毎回同じところの写真がネタを、ご勘弁ねがいたい・・・)

イランのシラーズにあるモスクの前庭は墓石で埋め尽くされていた。
写真(1)(上)前庭
     (左)墓石部分
モスクの内面にはカットされた鏡が模様となって貼り詰められている。

写真(2・上)壁面から天井の鏡装飾
写真(3・下)鏡の壁に向かってシャッター・・これは自分の顔の筈だが・・・
 イラン南部にある都市、シラーズでのこと。イランでは最も著名な遺跡ペルセポリスへも、この町から行く。私たちも終日ペルセポリスの見学をして、再びシラーズの宿舎へ帰る前に、一つのモスクに立ち寄った。

 モスク前面のかなり広い庭には、長方形に石が敷き詰められていた。普通にその石畳を踏んで進んでいた時、ふと足元を見ると、石には全て文字が刻まれている。墓石である。庭は全面墓地だったのだ! 写真(1)。

 他の国でキリスト教会の庭でも、同様の墓石が敷き詰められたところがあったが、そのときは踏まないよう注意された。また全面にあるものではなかった。しかしイランで、現在も多くの信者を集め、男女でモスクへの出入口が異なっているような信仰の場所だが、信者であっただろう人物が眠る上の墓石が、通路になって踏まれていたのである。何の注意も受けなかった。

 モスクの建物までを、全く無心には歩けないような気分で、中に入ったとたん、思わず身を引く思いがした・・・ギラ・ギラ・ギラに襲われたと言うべきか!!

 そこの壁も天井も全てが鏡で、しかもそれがカットされ、壁面模様として角度をつけて貼りこまれていたのである。フラッシュなしの撮影は許されていた。

 その一部は写真(2)であるが、これでは大変おとなしい姿で、むしろ美しいとも思われそうだが、ともかく現場では、鏡の中の不条理な光と影に、神経のほうが付いていけない気がしたのは、私だけではなかったようだ。

 写真(3)は壁に向かって自画像を写したもの。自画像になるとかえってこの方が気がまめなようである。自分を取り巻く全面が、鏡の部屋には入ったことは無いが、三面鏡や合わせ鏡の中の自分が、幾人いても、どの方向を向いていても、それは自分に間違いなかろう、と認識していた。しかし万華鏡の中に自分を置いた姿は知らなかった。まったく違った姿・・・・・

 このモスクの内面装飾は、ただモザイク模様に新しい鏡という輝く素材を使い、新しい信仰の場を作っただけなのか。この国では王宮などにも、こうした方法で鏡を使用した部屋が製作されている。それと同じ建築法の流行だけなのか。それとも鏡の持つ特異な機能を、宗教的に利用しようとしたものか・・・・

 弥生時代や古墳時代の墳墓に、大量な鏡が副葬された情景を思い浮かべてもいた・・・・


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