(136) 謎 円く削られた焼き物のかけら(中世編)


(上)香川県櫃石島大浦浜出土、土器片製円板、総数1300点ばかりあり
(下)はその一部の出土状態
 この話題は先回と同様なタイトルで、何とも紛らわしいことだが、長い歴史の中では、人間は全く忘れた物の筈なのだが、同じような物を作ることがある。左に示した写真まで、先回の絵と変わり映えのしないものとなった。

 先の話は、縄文時代であったが、今回はそれよりまるで二千近くの時を隔てて、また例のチンチンゴマ紛いの物が現れた話。こちらの遺物も、今にいたるまで、何であったか定説は無い。

 こちらの土器片製円板も、確かな出現時期ははっきりしないが、平安末から鎌倉期と思われ、その頃の身近にあるさまざまな土器や陶磁器片で作られている。この点縄文時代のものと共通する。考古館で直接調査した物ではないが、近回りのこととして、注目しているものである。

 岡山県と香川県を島伝いに橋で繋いだ瀬戸大橋は、完成して既に20年以上になるが、この橋が建設される際、橋桁となった多くの島々には、旧石器時代以来の多くの遺跡があり、破壊されるため調査された。

大橋架橋以前の大浦浜
(写真は全て調査報告書『大浦浜遺跡』香川県教委1988年による)
 ここはかつての氷河時代、瀬戸内海の海水面が下降したことで、旧石器時代には、岡山・香川の地を繋ぐ陸橋ともなった部分である。以前から旧石器時代の石器が、島々から発見されていた。その中に香川県分だが、櫃石島という島があり、古くからこの島で採集されていたかなりな数の旧石器が、考古館にも展示されている。  右の写真は、この島で最も大きな浜、大浦浜のかつての姿である。いまでは橋桁となり一帯の様相は変わってしまったが、ここには、縄文時代の遺跡もあり、古墳時代から古代・中世にかけてもの製塩遺跡や集落遺跡が広がっていた。

 こうした多くの遺物の中で驚かされた物に、最初の写真に示した円板、ここの遺跡に含まれる各時代の土器片で作られた例の円板であった。同種の物は中世遺跡である、岡山市百間川の当麻遺跡などでも数点の発見はあるが、櫃石島の大浦浜遺跡では桁外れに多い数であった。報告書によれば1300余点。主な物の直径は3cm前後、周辺は打ち欠いて円くしているが、すり削って整形したものはないという。

 古墳時代から鎌倉期にも及ぶ土器片で作られ、海岸では最も目に付く、製塩土器片製が最も多かったが、中には中国からの輸入陶磁器片の物もある。これもまた何に使われたか決め手は無いが、この遺跡では、広い浜の南端近くの一角で、幾個所かで大量にまとまって出土していたのである。

 ここにしめす写真の全ては報告書からの引用であるが、出土状況は左上の下に示したようなもの、そこが何であったかはわからないとある。

 類似の土製円板を大量に出土した遺跡は、近辺にもあった。倉敷には西隣とも言える、福山市芦田川の河川敷にあった草戸千軒遺跡、ここは中世の都市遺跡ともいえる大遺跡であった。河川改修に関係し、長期にわたって調査された。

 ここでは何んと2900点が、報告されている。円板は、鎌倉・室町時代の日常用鍋や碗の破片がおおかったが、備前焼のすり鉢や、外来の陶磁片も混じる。その地域で最も目に付く、焼き物のかけらと言うことでは、櫃石島の大浦と共通している。

 櫃石島と草戸の遺跡で、互いの遺物が混ざる状況は、注目されていない。

 この草戸でも、それが何であった確定まではされてないが、平安後期から鎌倉時代に、神仏の意思ということで、災厄払いに石合戦をしている行事があるという。これの道具ではないかとの推定もある。

 少し離れているが、尼崎市の金楽寺貝塚、これも古代から中世の海浜遺跡として注目されていたが、ここでも同様の物が100点ばかりも出土していた。報告では、宗教的な遺物とは思えない出土状況とあり、何か漁業関係のものかともいうが、確証は無いとある。

 福山市芦田川の草戸千軒遺跡も、櫃石島の大浦浜遺跡も、尼崎市の金楽寺遺跡も、大量にこうした円板が出ている遺跡は、瀬戸内の海運とも無縁でない地ともいえる。舟泊まりの町場的なところか。

 ・・・・瀬戸内に面するこうした集落では、時に海賊に襲われることも・・・急な時の護身用の飛礫が、あちこちの家や屋敷、寺などにも用意されていた?

 ・・いやいやこれは、仲間である村や町場内だけで、あるいはごく周辺の島同士間の、地域通貨だったのでは?・・・輸入している中国の銭には限りが有るが、近い地域内だけの交換も盛んになれば、お互いの信用の下での通貨としての意味を持ったのでは?・・・・これがひいては冥土への銭ともなったのでは。奈良の元興寺境内からもこうした土製品が出土しているが、ただし墓地からの出土ではない。ここでも用途の確定は無い。

 現代人から見ればそのあたりの土器片が銭になるなど、思いもよらぬことではあるが、例え土器片といっても、その場ですぐ円く加工できる物ではない。あらかじめ作られていた銭に近い大きさと形の円板が、いわば顔見知りの間で手形としての銭代わりになる地域が有ったのでは?・・

 「今日はよく働いてくれた。これ三つ・・いつでも持っておいで、3回分の飯代だ。もちろん、家の誰が持って来てもいい。あの娘にやってもいいんだよ」・・・

 泥棒や、見えない災害に石飛礫として投げつけるより、銭代わりのほうが楽しいのだが・・・さて現実は何なのか・・・・・せっかく長い歴史を経て残った遺物、縄文時代のものと、中世のものと、互いの遺物には、共通する意識があったのか、全く無いのか・・・私どもと同じ人間が作ったもの、せめて作った人の心情でもわからぬものか・・・・・


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