(140) 石のさび

 「ああ・・やっぱりさびている・・・」今土中から取り上げたサヌカイトの石片を、そのあたりの水溜りで洗った時の感想。・・・・これは1957年の夏の事だった。所は大阪府藤井寺市の国府遺跡。遺跡の最下層から、このような石片が次々発見されてきたのである。

 半世紀を軽く越した今も、その時の思いは、よく覚えている。それは特に感激した覚えではなかったというと、まるで格好をつけた嫌味に思われるかもしれないが、それが本当だったのだ。この時の調査が、この国府遺跡における旧石器時代の存在を、はじめて証明した調査だったのであり、この石片の出土状況と、石片自体がその証明に他ならなかったのだが・・・・すでに旧石器時代遺跡の存在予測があったためだろうか。

藤井寺市国府遺跡出土のサヌカイト片 、左右で表面の色の違いに注目
 (左)旧石器時代の石片 縄文時代遺物の下、台地の黄褐色土層出土
 (右)弥生・縄文時代の遺物と共に出土の石片
 この遺跡は名前のように、古代には河内の国府が置かれていたところであり、古市台地といわれる低台地の上。近接した同じ台地上には、現在は允恭天皇陵として陵墓に指定される、全長約230mの前方後円墳・市野山古墳もある。この一帯が古市古墳群として、倭の五王の時代を語る時には中心となる一角でもある。

 またこの国府遺跡は、縄文時代・弥生時代遺跡としても古くから有名であった。当時は帝国大学であった京都大学の考古学研究室が、すでに一世紀といってもよい昔となる1917(大正6)年に発掘調査している。その報告は、研究室報告として、1918・1919年の二回にわたって出版されている。土器・石器のみでなく人骨出土が注目されている。

 一方で、二次世界大戦の終わった翌年の1946年には、群馬県岩宿で、相沢忠洋氏によって、日本での旧石器時代石器が発見された。その後日本国内の各地では、急速に旧石器時代の確認調査が続いており、倉敷考古館でも関係の調査で、鷲羽山遺跡などの存在を明らかにしていた。(このホームページの「主な調査と展示」の最初あたりを参照

 こうした動きの中で、国府遺跡の石器の中にも旧石器が含まれているのではということで、新たに調査もされ、注目されていたのである。しかし確証は得られてなかった。ところが先に述べた調査の際、明らかに縄文時代の遺物層の下、台地を構成した黄褐色土層の中から、サヌカイトの石片が、かなり出土しだしたのである。

 しかも上層の縄文時代や弥生時代石器を製作していた、同じサヌカイトの石器や石片と、外見上明らかに違っていたのである。最初に述べた感想がそれだった。石片で新しく欠けた部分は、上層のものも下層のものも、一見したのでは同じにみえる。ところが互いの石の表面は、歴然と違う。

 「最初に載せていた写真の(A)と(B)、同質の石に見えますか?」・・・・発掘を続けていた私達には、全く違う手触りと、外見だった。正に石が「さび」ていた。いま少し言うならば、全体として石の割れ方も違うということだった。個々のものでの区別は難しくとも、同じ遺跡内で量が集まってくると、一つの傾向が感じられる。

 その後、倉敷考古館内での遺物整理の中で、筆者は時間的に長く整理に関係していた幸運から、後に瀬戸内技法と呼ばれ、その石器製作過程の証明として報告された、二つの小形の石の接着を発見した。1つの石は石核、今一つは、その石核から連続して割り取られた剥片の1つだった。

 剥片は横長のまるで鳥が羽根を広げたような形、ここで翼状剥片という言葉がうまれた。それは剥片が一枚間をおいて、僅か1cmにも満たぬような部分での接着であったが・・・・現在では石器製作跡での、石片接着は当たり前のこと。しかしそれまでは土器片接着を基本にして来た者にとっては、それは平面だけでなく、立体の接着と言う感じでもあった。

 この石器の接着は、この遺跡がかつて2万年も前に、そこで石器が作られていた時代と大きな変化無く、現代まで残り続けていた証明でもある。現代人にとっては、石器となるように上手に石を加工するのは、大変なこと。割り方までが研究対象なのだが・・・・

 当時の人々には、その技術こそが生きるための重要な手段の一つ。小さい子供も、大人の回りで、見よう見まねで石器つくりを真似ていたことだろう。小さい子供にとってはきっと遊びにもなっていたのだろう。

 接着した石核と翼状剥片の間の抜けていた一枚の剥片は、形がよく、石のナイフに加工されて使われたのか?・・・それとも子供のナイフ作りの、稽古材料になったのか?・・・・遺跡で旧石器時代と確認した石片を手にした時より、接着した二つの石から、より多く、2万年もの昔の仲間を見た思いだった。

(左上)国府遺跡の接着した石核と翼状剥片、他はナイフ形石器
 ところでタイトルは「石のさび(・・)」。「さび」といえば、普通には金属の話し、石の場合は少々おかしい・・・色々と難しいことになるが、いわば「古色」ということか・・・しかし誤解が無いように、石器に限ったことではないが、特に石器など時間がたつに従って、古色がつくものではない。保存状況の違いが大きい。国府遺跡の場合、同一地点内での比較だったので、よく分かったと言うことだった。

 念のためインターネットで、「石の錆」を覘いて見ると・・「あった!」・・花崗岩に出るさびのこと。建築家、特に石造建築の人の研究・・・花崗岩は砂鉄の元に成るものもあるのだから当然だろう・・少々知ったか振りの気分でいたら・・・なんとこれも一筋縄ではないようで・・・酸化チタンも関係するとか???・・・

 ・・・頭の錆びでも落さなくては・・・それは年末の大掃除でも駄目なことだろう。まさに古色だから・・・


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