(141) 日の出・日の入

 正月の行事として、初詣はよく知られている。皆さんもお出かけですか?・・いま一つ、初日の出を見る(拝む)人も多いのでは?・・その場所はどこであれ・・・

 現在ではこの両者どちらが多く、それぞれ人口の何パーセントが行っているのか、全く知らない。しかし自分のことはともかくとして、こうした行為に対し、わが国では当然の正月行事・風物詩として、とくに異論を言い立てる人も無いだろう。

 ところでこうした「拝む」行為は、初詣の方は寺社が対象なので分かりよいが、初日の出の方は、天空の自然物・太陽である。毎日、日の出・日の入は繰り返されているのだから、改めて正月元旦の太陽の出を意識するのは、個々人によって、また時代によって、その意味は違っているはずだ。

 一年の始まりを強く意識するのか、特別な場所に意味があるのか、日の出を拝むというように、ある意味では神仏を拝むのと共通しているようだが、これは人間の潜在意識中に、太陽崇拝があってのことなのだろうか?

 それともかつては、自然界の動植物によって生存していた祖先たちが、身の回りすべての自然現象の中に、畏怖や敬意を抱いていた状況から、わが国で農耕文化が定着する中で、太陽の持つ力を特に中心的な神格としていったことなのか?

 縄文時代人が残している遺跡・遺物の中に太陽を意識したものが特に有っただろうか?・・・特には思いつかない。かつては日時計などではとも考えられた、中央に立石を持つ環状列石なども、墳墓にかかわるものであった。

 わが国で、農耕が本格化した弥生時代にも、遺構として確かに太陽と関わると言えるものは、まだ分かったとは思っていない。銅鐸などの表面に描かれている絵画でも、太陽そのものは描かれていない。

 土器の上に描かれている絵画には、1〜2点太陽かと言われたものはある。米子市の淀江町から出土した、弥生時代中期の大形の壷胴部に描かれた模様の同心円部分を、太陽とするが、いまではこの破片は失われ検討できない。姫路市の長越遺跡出土の壷胴部には円形に描かれたものが複数あり、太陽の運行で、季節を示した絵ともされる。

 例えそのような意味を示していても、長越の土器は、古墳時代開始頃の物で、銅鐸の絵などとは同時には扱えない。ともかく弥生時代の太陽表現として、万人を納得させうるものではないだろう。

 古墳時代には、鏡であるのか、太陽であるのかははっきりしないが、円形や同心円が描かれたり彫刻されたものが現れる。この「よもやまばなし113話」で話題とした鶴山丸山古墳の立派な石棺蓋には、家と円形のレリーフが複数ある。九州の装飾古墳には、鏡か太陽を思わす壁画も多い。この時期には、鏡が太陽の分身であったのだろう。

 『古事記』・『日本書記』になると、日の神として女神・アマテラスが神々の中心に厳然として存在する。この神は自分の最も身近である弟、荒ぶる神・スサノウを追放するのである。かつて両者の存在は、人間にとって自然界では表裏であり、同等の力を持った存在の筈ではなかったのか?

 『記・紀』の伝承が出来上がる頃には、すでに太陽崇拝は根付いていたということなのだろうか。その由来が純粋にわが国の中で誕生したものであろうか?・・・海外からの新思想の影響も大きかったかもしれない・・・・

 初日の出を拝むでもなく、正月と言うので漠然と、あれこれ思い巡らせているだけなのだが・・・・今回のトップの写真は、当然日の出の写真と思われているのでは・・・・これは実は日の入りである。

 正月に何と言うことをする・・・落日とは縁起でもない・・・と言うのが普通だろう。ただ落日は明日にはまた間違いなく日の出となる。

 この落日は、実はシリアで2010年に撮ったもの、しかも、ローマ時代の著名なパルミラ遺跡を眼下に見る、イスラムの古城跡から見たもの(下の写真参照)。現代のシリア情勢を思う時、そこに生きる人々と共に、この偶然に撮った、遺跡での落日を思い出したのである。かつてはシリアの観光銀座でもあったこの遺跡、今の現状は?・・・・壊れてないまでも観光客がいるとは思えない。

 シリアの平和な明日の日を願うと共に、わが国の新しい年が、私たちの落日への一歩にならないことを願うのも、また本当である・・・今年、2013年の正月。
シリアのパルミラ遺跡・(左)列柱道路の入り口 (中)山上より見た全景 (右)山上のイスラムの古城


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