(144) 古新聞(その1)−羽島貝塚の調査―

遺物保管用の箱底に敷かれていた1951年の古新聞。これに羽島貝塚の記事が載っていた。
 今は昔という書き出しで書かねばならないだろう。家庭での大掃除の際、座敷の畳を上げたら、つい仕事の手が止まって・・・「なにをしてる!!」と大きな声が飛んでくるような経験・・・現代の中年以下の若者には思いつかないことかも。

 畳の下に敷かれていた古新聞に、ふと目が留まって、ついつい記事を読んでいた、ということ・・・日々の日常生活では、読み飛ばしていた記事の多かったこと、忘れてしまっていた様々のニュースが、今につながるものであった驚き・・・・

 こうした経験も最近はほとんど無くなったとはいえ、考古館では時に似た経験が続いている。この「よもやまばなし」の14で取り上げたことのある話だが、これも似た経験だった。これさえも既に5年も前の昔話か。

 14話は、古いダンボール箱再利用の話ではあるが、実は昔の遺跡調査時には、出土遺物の多くを、新聞紙に包んで箱詰めしていたので、箱詰め替えの際、その古新聞に目を留めたものだった。仕事の方はおろそかになった。

 今回も、遺物保管用の古い箱底に敷かれていた古新聞からの話である。しかもこの新聞は、昭和26(1951)年の日付、考古館開館から一年ばかり経ったに過ぎない時の代物。半世紀どころか60年以上もたったものだった。

 古い新聞の内容などは、縮刷版もあることだし、手で触っただけでも粉々になりそうな日焼けた汚い新聞紙など、そのままゴミ箱行きのはずだったが、ついつい内容が気になって、広げてみて・・・・

 それは60年の歳月、全て自分達の歩んだ時間だったのだが、まったくの異世界と、そのまま現代につながる世界と・・・素通り出来ない不思議な時間差空間というのか・・・ともかく何か考古学とか、考古館と関係記事はというのが、まず気になった。

 古新聞はたまたま『毎日新聞』ばかりだった・・・・「あった!!考古館関係記事」「羽島の貝塚 発掘中止」この見出しで1段8行の小さい記事。当時の新聞は僅か4ページに過ぎない。しかも活字の小さいこと・・・この記事は昭和26年11月10日付、倉敷発の記事で岡山版にのる。

 その大要は「倉敷考古館は、2日から県学生考古会の応援で、羽島の貝塚を調査していたが、縄文式前期遺物しか(。。)発見されず9日発掘を中止(。。)した。」とあった(傍点はこちらでつける)。

 この発掘はよく記憶している。倉敷考古館が館として、最初に手がけた発掘調査だった。その後、60年以上にもわたり、倉敷考古館と関わりをもつとは夢にも思わなかった、大学1年生で参加した発掘だった。

縄文時代前期前半の羽島下層式土器
 羽島貝塚は考古館からは、東南僅か1kmばかりのところにあり、古くから知られた貝塚で、小字名は貝殻塚といっていたようだ。1920年には、発掘で十数体の人骨出土という。しかし考古館の調査では、撹乱されていた部分が多く、人骨の出土は無かったが、貝殻の多い部分の上層あたりは、縄文前期でも、中ごろから後半以後の土器が出土していた。

 より下層に達しては、貝殻を伴わず、海岸の砂浜を思わす状況の中から、土器片が発見されたのである。この土器が現在も、羽島下層式土器として、このあたりでは縄文時代の前期前半期の、標式になった土器片である。

 と言っても、専門分野の人ででもなければ、それは新聞記事にあったように「縄文式前期遺物の破片しか発見されず・・・」の認識は現在も同じであろう。しかしこうした遺跡の状態の中に、実は現代人が、日々、海面上昇だ、異常気象だ、と自然環境に翻弄されているのと同様な世界も、あったはずなのだ。当時は瀬戸内の海面がもっとも奥地まで入っていた頃、海岸に僅かに広がった砂州上での生活・・・・・

 と言うような理屈は別のこととして、60年も昔の発掘、考古館と遺跡との丁度中ほどには、かつて大原家によって起業された倉敷紡績の工場(現在アイビースクエアと市民会館になっている所)があった。発掘参加者の宿舎は、この工場の空室の社宅が当てられた。

 朝と昼食だけは、女子従業員さん達と同じ食堂へ行き、夕食は外で・・そのころまだ米は配給制だったのだが、どうしていたかな?・・大学の食堂へは、米持参だったのだが・・・、発掘での風呂は銭湯へ・・・、銭湯といえば考古館の数軒向こうにもあった・・・現在みやげ物店・・・思い出せば切のないことだが・・・考古館はその頃は便所が無かった、すぐ外の公衆便所へという生活・・・・(ちょっと脱線)。

 先の古新聞の記事では、11月9日での発掘中止がニュースだったが、当時の考古館日記によると9日には中止記録はなく、11日に、羽島の発掘延期。18日に発掘終わる、とある。また日記によると、16日に別の新聞社の記者が土器の写真を取りにきている。恐らく羽島の土器であろう。こちらが真相。

 ともかく羽島下層式土器は今も展示中。『倉敷考古館研究集報 第11号』(1975年)にこの調査の報告がある。


トップページへ戻る  よもやまばなし目次へ戻る


〒710-0046 倉敷市中央1-3-13 Tel.(086)422-1542 公益財団法人 倉敷考古館