(15) 再利用〔2〕瓦礫にならなかった瓦

考古館倉庫の庇瓦
 (上)旧 (下)新

 倉敷を代表する建物といえば、反射的に「白壁土蔵造り」の言葉が返ってくるが、ただ土蔵というのでなく、屋根が本葺であることが重要な特徴なのである。日本瓦で葺かれた日本本来の建築様式家屋も、屋根が桟瓦(さんがわら)で葺かれたものがほとんどになっているのが、昨今の日本家屋なのである。
 桟瓦は平瓦の一辺を屈曲し山形を作ることで、屋根を葺くときに、平瓦だけで互いの端を重ね隙間無く敷き詰められる合理的な瓦である。本葺の場合は、平瓦を並べた間を丸瓦で覆っていく葺き方で、日本で初めて瓦葺建築として、寺院建築が始まったときからのスタイルなのである。

 本葺屋根は手間も経費もかかり、しかも屋根にかかる重量も大きく、それだけに建物自体もしっかりしたものでなければならないのである。今後とも、倉敷の建築を代表するものということでは、この本葺屋根の多さということになるだろう。
 ところで考古館の小さな倉庫の倉も本葺屋根であるので、手間と経費のかかるのは一人前である。1970年に建て替えた時は、古い倉庫に使用していた土蔵の瓦だけでなく、足らないものは、施工業者の所に保存されていた古い瓦が使用されたようである。

 多くを必要とする瓦の生産は、たいへんな労力であり、また良質な土の無いところでは良い瓦は出来ない。瓦の出来が悪いと、たちまち屋根漏りの原因にもなる。古代以来、宮廷や寺院建築に使用された瓦は、しばしば遠距離を運ばれて、再利用されているのは、普通のことである。また良い瓦は長持ちがしている。
 奈良の都で使用されていた瓦が、都が長岡や平安京に移るとそこに運ばれて再利用されていることは、よく知られた事実である。遺跡からの発見例は多い。岡山市瀬戸町万富で焼かれた、奈良の東大寺の鎌倉期再建瓦が、今も東大寺の南大門に残るという。

 写真の屋根瓦は考古館倉庫の庇部分で、上は葺き替え前、下は葺き替え後の姿。旧瓦のアップ写真で見ると分かるが、軒先では平瓦の模様がみな異なる。庇では、わずか7-8枚平瓦が使用されていただけだが、その中に模様から見て、江戸時代末から明治時代初め頃までに、現在の岡山市二日市(写真左端)、倉敷市の酒津、同市真備町服部(写真右端)、同町箭田(八田)など(写真中は無文で不明)各地で生産された瓦があったのだ。明らかに再または再再利用である。

 かつては各地にあった伝統的な製法でつくる日本瓦窯は、ほとんど姿を消した。今回使用の考古館倉庫の瓦も、外見はふるい日本瓦であるが、製法はかなり近代化されているようだ。だだ生産地は、倉敷市の北、総社市赤浜とのことで、地元産とはいえる。この瓦、再利用できるものだろうか・・・・今後は再利用など必用にない時代だということになるだろうか。



 1995年12月21日 木 晴
 昨日今日と屋根瓦の葺替えで、展示場3室の天井から砂が落ちてくる。工事の人が掃除機で吸ってくれているが、展示ケースは埃まみれ。掃除はたいへん。
(考古館の本体である、江戸時代の倉利用部分で、この1995年11月から翌1996年の3月はじめまで、屋根の瓦葺き替えと、東面壁の貼瓦の貼替えを行った。大屋根の瓦は軒平瓦の模様から、全て真備町箭田生産の瓦だった。今ではすでにこの瓦窯の所在した場所はわからない。この葺き替えでは、全体に四分の三ばかりは古い瓦を個々検討して再利用してくれたので、倉敷を代表しいつも写真に使用されるこの倉が、古い屋根の姿を失わずにすんだのである。)


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