(151) 弥生人の語り(1)・・・銅鐸に描いたものは?


5点の同笵流水文銅鐸の同一絵画部分の比較

ほぼここに並べた順序に製作されたと思われる。2と3の間で、鋳型が再加工されている。ひれ(縁部分)に鋸歯文が加わり、絵も再加工。

 現在では直接見聞きすることの出来ない遠い過去、特に文字が無いような世界の人達が残した、絵や文様や記号には、考古学や歴史好きの人に限らず、興味を持つ人は多いだろう。そうした一つに銅鐸に描かれた絵画もある。

 このように申し上げるのは失礼なことだが、考古館での団体入館者の方や、複数で来られ、とくに説明を請われた場合でも、全く展示品に興味を示されない方もある。こちらの説明の不手際もあるが、もともと興味のない方が若干居られるのも、無理からぬことと思っている。

 このような時も、先回の「よもやまばなし(150)で話題にした滋賀県新庄出土の銅鐸のところで、「ここにはトンボが飛んで、カニがはってます」とか「この鹿の背中に矢が突き立っています。こちらの人間、弓を持っていて矢の立った鹿の角をひっぱってます。かれが仕留めたのでしょう。」と言えば、皆さんケースに額を寄せて見て行かれる。情景や意図を伝える絵画の力、きっと弥生人の世界を垣間見られたことと思う。

 そこで、先の新庄出土銅鐸だが、この鐸の別面の文様を、今回は右にちょっと大きめの拓本で載せた。比較のため兄弟鐸(先回参考)5点、全て同じ部分を並べた。実はこちらの面は、何だか不明動物?がいて、見る人によって解釈が違うため、説明を敬遠していると言うのが、本音なのである。

 拓本のそれぞれの出土地・所属は、拓本内にある。2が考古館展示の新庄鐸。この拓本図は、神戸市桜ヶ丘銅鐸・銅戈の報告書から拝借して作成、ただし縮尺は少々不同。全てが、同じ鋳型から作られたことは間違いなく思えても、個々の作り方や、鋳型の傷み方、後に鋳型に手が加えられていることもよく分かる。ただ本来の絵姿を考えるには、統合して見ざるを得ない。

 帯状に並んだ絵の右端から・・・早速に不明の動物?数点・・・私には鹿を中にして両側にそれを捕まえた人物がいるように思われるのだが・・・次は逃げる鹿3頭、その後ろに追う犬1匹、その後にやはり鹿を追う人物1人、上には尻尾のある動物がぶら下がっている。猿だろうという意見が多い。この一角の場面は、空間の広がりを示した書き方のようである。

 続いてその左は、臼を向き合って搗く2人の人物。その左は、型持孔で見えぬ物が多いが、単に鋳型の傷か?・・2匹の犬のようにも思われるが・・その左に体の丸い四足獣2匹、中央の鹿とは向きが逆方向である。猪かと言うのが普通であろうが、狸も候補に入れて欲しい・・・・もし中央で上からぶら下がる動物を猿とするなら、左端の動物も人の身近によく現れる、狸でもよいのでは?・・昔話には『ぶんぶく茶釜』もいる・・・  いずれにしてもこの面の絵画には不明動物が多い・・・皆さんのご意見は?・・・

袈裟襷文銅鐸の方形区画内に描かれた
主な絵画模式図

 銅鐸に描かれた絵の中には、こうした帯状に描かれたものより、四角に区切られた区画内に描かれた物のほうがよく知られているだろう。ここにその著名な場面を集めてみた。こうした絵画については、古くから注目されてきただけに、既に一定の共通理解があるともいえよう。

 今では、銅鐸は農耕祭祀の道具ということが常識化している中で、絵画もそれを立証する表現、とされている。現在考古学の世界では、銅鐸絵画の主なものに次のような意味を与えている。

 銅鐸絵画の中に登場する動物で、最も多いのは鹿。鹿は土地神の化身とする。記紀の説話の中に、そうした姿の鹿が多く語られていることによる。しかしその一方で、銅鐸絵画上には、鹿を狩る表現がかなり多い。これに対しては、『播磨風土記』中の説話に、籾種を鹿の血に浸すと、急速に実ったと言う説話がある。これなどを援用し稲作神事の一環と考える。

 絵画に現れる動物たちには、いもり、かめ、すっぽん、かに、みずすまし、魚もいる・・かめは魚をくわえている・・みな水に関わる生き物。とんぼ、かまきりは虫を取る。頚の長い鳥は鶴、稲種を運ぶ鳥というが、口にくわえているのは魚・・・魚の横で人が「工」状のものを手にする情景については、機織姿とか、網で魚を捕る姿と考える人も多いが、水田の水平を計っているのでは・・・大きな猪に吠えかかる多くの犬と人は、田畑を荒らす猪退治・・・・・高床の家は稲穂を収めた倉庫、臼を搗く二人は、初穂の脱穀か・・・ 

 こうして見ていくと、確かに農耕の過程で関係あるものばかりのよう。しかし喧嘩を収めているシーンもある。蛙を捕らえた蛇を、棒を持って追う場面もある。そうして奇妙な四足動物三匹とみずすましのいる場面もある。

 この四足獣は猪だろうといわれているが、みずすましのへりにいるので、水辺であろう。犬や人に囲まれた猪とは、姿が全く異なる。水辺で水中の小動物などもよく食料とする、これも狸ではと思われる。

 これらを全て見た時には、全ての生き物は、互いの命を糧とするような生存競争の中で生きてきたが、人間は米を多く作ることで争いも静まると言う願いでもあろう。こうした考えは、既に故人となった先学小林行雄氏などの基本的な考え方だったように思う。

 あまり個々の情景に理屈はつけまい。銅鐸が重視された弥生時代の中ごろから後半は、弥生の戦国時代とも言える時期である。銅鐸を大切な道具とした地域の人々は、普段はあまり目にしないこの不思議な金属の音や姿に接する時は、互いの強い協力を誓った時なのでは・・・それは大掛かりな水利工事であったり、天候の不順であったり、また争いへの前夜であったり・・・

 絵画の無い銅鐸も、絵画に込められた思いが必ず語り伝えられたであろう。自分たち集団の繁栄を願うための、団結の道具として。

 考古館に展示する銅鐸も、鋳出された絵に不明な部分があっても、それを見た弥生人は、自分たちにとっての幸いへの道であったのでは・・・・それは強い祈りでもあったのだろう・・・「弥生さーん・・あなたの語りはこれでいいですか?・・・」


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