(155) 壊れた中橋

(上)2013年5〜6月間の考古館正面
(中・下)倉敷の街中で見る、美観地区を示す、記号と看板


 考古館下の写真は、倉敷市では観光の目玉でもある「美観地区」のシンボルマーク、と言うかアイコンと言う方が分かり良いのか、ともかく倉敷での考古館あたり一帯を示す記号。左下写真のような市内の道案内板には、随所で見られる。これのモデルが何かは、右の考古館正面写真を見ていただければ明瞭であろう。

 ところで注意深い方は既にお気づきだろう、左の考古館正面写真が、いつもの写真とは違っている事を・・・・橋の上に妙なものがある・・・道路上などで、通行規制や注意喚起に使用されている、とんがり帽子のコーンとそれをつないだバーが、橋の片側にならんでいる。

 このコーンとバーは5月の連休より前に設置された。欄干の石のつなぎ目に隙間が出来ていたことを、考古館の職員が気付き、市のほうに連絡したことに始まった。何時からそうした状況になっていたかは分からないが、以前はコンクリートでつなぎ目は接着されていたが、コンクリートは失われ2cmばかりの隙間となっているのである。欄干には全く揺らぎは無いのだが、万一と言うこともあるということだった。

 最初は道路工事周辺でよく見かける、真っ赤なコーンが並んでいたが、そのうちいかにも倉敷らしい化粧をしたコーンに変わった。その姿が今回の考古館正面観である。これは7月7日まで続いた。

 7月7日、まるで七夕の織女と牽牛が、天の川を渡るのにちなんで橋を修復、などと言うのには、ちょっと遅きに過ぎたこと・・・隙間がちょっとコンクリートで埋められただけのことだった。

 中橋には、いつも欄干にもたれる人、腰を掛ける人、欄干に身をもたせて川を覗く人、と言うように、「石橋」の強度を信じた観光の人々が、安心して身をまかせているところである。しかもこの橋の上では、イベントが催されることも多い。橋の下を流れる倉敷川中では、常時観光の川舟が往復し、この船を利用したイベントも多い。

 たとえば例年、「花嫁川舟流し」(実はこのよもやまばなし80「5月3日の倉敷川河畔」で取りあげた話題だが、皆さん相変わらず、花嫁を「流す」と呼ぶことに何の抵抗も無いようだが)の時などは、橋の上は溢れんばかりの人だかりで、石の欄干から身を乗り出して川面を覗き込む人の群れ。欄干にかかる圧力もかなりなものだろう。

 近年各地の橋の老朽化が伝えられ、そのメンテナンスが重要課題になっている。土木工学などは全くの門外漢で、石造の橋とか石垣・堤・壁などの強度については、全く分からないが、歴史的な石造物などでは、むしろ当時の綿密さと技術の高さに驚かされ、壊れ難いものというイメージが強いのでは。

 しかしこの倉敷では最もよく宣伝されているこの橋の、壊れた姿の有ることを、この際知っておくのも参考になるだろう。この欄でも数度か(2829・79話など)にわたって取り上げた『倉敷今昔写真帳』の中だけにも、全く偶然に写した写真ながら、二箇所に壊れた中橋が写っていた。右下の写真(A・B)はそれからの複写である。

 写真(A)は、撮影者も正確な時期も不明だが、今から90年近く前であることは、周辺の状況から推定された。(B)は、この写真帳製作で、写真部分の作者であり編集者であった、故中村昭夫氏の1957年1月撮影写真の部分である。これとても既に60年近くも前のことである。

壊れた中橋
(A)左の写真は1925〜30年頃か、撮影者不明
(B)右の写真は1957年1月、故中村昭夫氏撮影

 前者は何で壊れたかは不明だが、後者については当時の噂で、オート三輪車が無理にこの橋を渡って壊したと聞いた。考古館の日記を繰ってみたが、その頃にはこうした事に関しては、何の記載も無かった。ただ同じ写真帳に、翌2月撮影の写真もあり、そこにはこのへりの道を通る、かなり大形のオート三輪車が写っている。この写真では、橋の壊れた部分は、すでに修復されていた。

 中橋が石橋となったのは、これも以前に話題としている(28話)が、明治10(1877)年であった。写真(A)までが半世紀ばかりか?写真(B)はそれから30年くらい後になる。その後、自動車が渡らないように、橋の両端に1段の段差を付け、端には2本の短い石柱が建てられた。これで自動車が制限できたためか、その後の大きな壊れの覚えは無い。

 しかしつい昨年(2012)の4月には、これも考古館すぐ前で石橋床の板石の2枚目、まだ橋が地上にある部分だったが、2つに別れ(割れたか、本来2枚で作っていたかは不明)かなりな段差が出来た。1週間ばかり川の中から足場も組んで、修理したのである。

 これも川中のことだったら、橋板は川に落下していただろう。どうした理由で、このような壊れが生じたのか私たちは知らないが、花崗岩で頑丈に造られた石橋とはいえ、やはり石橋を叩いて渡る気持ちを、忘れてはならないようだ。

 とはいえ、現代科学の粋だといわれているような、安全神話で固められた諸々の物が、周辺にあふれた生活、今では自分で、叩いてみるところさえ分からない人間の惨めさ・・・・・


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