(163) メキシコ人形

メキシコのユカタン半島にあるカンクンで買った、小さい人形付ショルダーバッグ

 あなたは、このタイトルの言葉をインターネットで検索したら「絶対検索してはいけない言葉・メキシコ人形」と書かれているのを、ご存知?・・・・「ゾッとする観光名所・人形島」・「呪いの人形島」・・・等々・・思いもかけないオドロオドロシイ写真や言葉が続く・・・・いったいメキシコ人形はどうしたというのか・・・

 このところ数回、駆け足のメキシコ旅行で見聞きした、少々の遺跡や感想を話題にしてきたが、つい先回は、食堂の天井から吊るされた人形のことに、ちょっとふれた。その時、メキシコでの人形とは何だろう・・・骸骨人形などもあったのでは?・・・

 それだけだったら、あまり現在の人形には興味の無いことだったので、気にも留めなかったのだが、町なかの土産物店で、左の写真のような決して綺麗ともいえない、布製手作りらしい小さいショルダーバッグに、たくさんの人形を取り付けた、奇妙な袋を売っているのを目にした時、あの天井からぶら下げられていた人形も思い出し、この国での人形とは??・・・メキシコには何か人形に関係した民族的な習慣があるのか・・・とつい買ってしまったのだ。

 メキシコの人形に関わらず、多少とも歴史とか習慣に関係しそうな人形といえば、わが国の事についても、土偶や埴輪人物などを別格とすると、古代の「ひとがた」や各地に残る「流し雛」くらいしか思い当たらない筆者には、まずは手近にとインターネットに頼った結果が、最初にお目にかかった言葉や写真だったのだ。

 私達のメキシコ観光旅行には、おくびにも出なかった観光名所「人形島」とは、普通のメキシコ旅行の際には、今では当たり前の知識だったのだろうか?・・・私達と同類の方のために、この人形島のいわれを、インターネットの受け売りでちょっと・・・

 人形島は、メキシコシティで水路の多い地域にあるソチミルコ島で、1949年〜2001年の間、この島に住まっていた1人の男性の行為が、作ったものらしい。彼は水路で水死していた少女に接して以来、水路に流れ漂う人形を集め、島の樹木に取り付けたり吊るしたりして、1000体にも及んでいるらしい。

 人形といえば普通には、かわいく、美しく、愛嬌もある、人に愛玩されるものであろう。しかしそれが放棄される時は、壊れ汚れ、しかも水中での変化、人に似た姿かたちだけに、水路を流れついた人形は、正視できない恐ろしい雰囲気を持つようだ。幽霊島という以上の気味悪さを持つ島になっているようだ。

 そうしてこの流れ着く人形に取り付かれたような人物は、かつて少女が水死していたところで水死していた、という話もつく。いわばつい現代に作られた心霊スポットなどと言われる、観光名所のようである。

 ところでこちらの探す、吊るされた人形を叩き壊す行為、インターネット上で、これに関係しそうな記事をやっと探し出した。「ピニャータ」割というのがあるらしい。「ピニャータ」と言う言葉は、イタリア語の「土鍋」がスペイン語になり、メキシコに渡ったものとか。メキシコ先住民のアステカ人が壷を割って悪魔祓いをし、収穫祭を祝ったことなどと、クリスマス行事が結びつき、目隠しした者が、棒で、星形の焼き物を叩いたものが、次第に、子供の祭りや誕生日に、くす玉人形を作って中に小さい菓子や玩具を詰め、目隠しした子供達が、棒で叩き割り、それを得るようになったようだ。元はくす玉は星形品のようだが、今ではアニメの人気者などを象ったものもあるという。

 こうした話も何処までが正確なのか、まったく私どもは知らないが、メキシコ人の間では喧嘩のとき、相手を「叩きのめす」の意味で、「ピニャータのようにしてやる」と言う言葉があるらしい。言葉も行為も時代によりその意味も内容も、しばしば変わることは、我々も経験済み。悪魔祓いが、子供の祭りの遊びになってもおかしく無いと、多少納得。

 今ひとつの人形付き袋も、家族をそれぞれに表現した人形を、家を象った袋に入れて持ち歩くと幸せになる言うことから、そうした人形が作られ販売もされているらしい。その模造品かもしれないが、全くよくわからない。また例えそうした人形があるとしても、これの由来がメキシコ本来のものか、外来思想の表現か・・・嘘の伝説を作ってはならぬので、この点は今のところ、ノーコメント。

 そうしてメキシコには、変わった人形として綺麗に着飾った骸骨人形がある。メキシコには死者の日として、まるで日本の盆のような、死者の帰ってくる日があり、それは大切な祭りでもある。その日の表現が骸骨人形のルーツのようである。

(土製)

(石製)

(硬玉製)

(黒曜石製)

メキシコの国立人類学博物館に展示されている「ひとがた」の遺物
(装飾された人骨)

これらの「ひとがた」品はすべてスペイン文化の入る以前のものであるが、地域・時代はそれぞれに異なっている。それぞれが表現した意味が現代に継承されているのかどうか

 メキシコの世界観では、生と死は表裏、決して死も死者も忌むことではないようだ。骸骨も愛すべき家族、死者の姿を持つ人形も、祖先の姿であり愛すべき玩具になったのであろう。これは案外、あの人形島を作り出した現代社会人の、深層心理なのかもしれない、などとも勝手に思ってみたのである。

 ともかく、スペイン文化の入る以前の、この地の「ひとがた」を、前にも引用したメキシコ国立人類学博物館内で、偶然に撮影したものだけだが並べておこう。出土地と年代についての解説は出来ないが、これが現代の人形にどのように繋がるものか・・・・

 現代に生きる私達の、心の中にも「ひとがた」はあるのだろうか?・・・有るとしたらそれはどのようなものなのか?


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