(164)黒曜石産地の土産・・教会・石槍・星糞・・

長野県小県郡長和町の星糞遺跡・黒曜石原産地遺跡

メキシコのチェチェン・イッツア遺跡の露店商での土産品。現代製作の黒曜石製石器。右の物などは、博物館に展示された石槍に似せた巧みな作

アルメニアのセヴァン湖畔での土産品・黒曜石製のミニ教会

 「黒曜石」と言うタイトルで、この石を「よもやまばなし」の話題にしたのは、ほぼ1年ばかり前の(139)話である。これをクリックして頂ければ、この石材と私たち人間との関わりも、一応はわかっていただけるだろうが、この「よもやまばなし」を見ていただいているような方には、その説明など不要のことだろう。

 世界の各地で、私たちの祖先が石で道具を作っていた頃には、材料としてこの黒曜石がかなりな部分を占めていた。現代の普通教育を受けてきた人にとっては、黒曜石の名前はともかく、人間の歴史に、石器時代があったことは常識の筈だが・・・・・しかしわが国でも100年足らずも前には、義務教育の「歴史」では石器時代などは無くて、せいぜい『古事記』『日本書紀』の中の神話や逸話、天皇名の暗記だったのである。

 つい近年、世界にむけての発信を、言葉も英語教育の重視をうたっている時代に、義務教育のなかから、人類歴史上の石器時代、わが国では縄文社会から以前の歴史を、削除し、神話復活を重視する傾向の強まりが見られる・・・・『古事記・日本書紀』の世界観だけで、世界に通用する人物は育つのか・・・・考古学は抹殺されて、マニアの世界に追い込まれている・・・いやいまこそマニアが声を上げ、その実力を発揮しなければ・・・・私達の歴史だと・・・

 石器の石材から少々横道へそれたが、これは偽らぬ考古学に関わる者の昨今の感懐・・・

 ところで海外の有名な黒曜石産地周辺へ偶然にも昨年・今年(2013年)と続けて、観光旅行でいった。これまた偶然にも、今年の秋の考古学関係の学会が長野市で開催されたが、長野県は、先の(139)話で記したようにわが国での原始時代に、石器を作っている黒曜石の古くから有名な産地の一つだった。学会での見学研修会で、その著名な産地の一角の遺跡を、訪れたのだった。

 昨年の旅行先アルメニアでは、よもやまばなし(139)で記したように、黒曜石の岩脈もバスの窓から望め、すぐ近くの観光地では、黒曜石加工の土産物が多く販売されていたのである。原石片も販売されたり、サービス品にもなっていた。この時の土産物や原石片の写真も(139)話に載せているがその一つが、教会に加工されたものだった。

 今年のメキシコでは、(160)話で話題とした、メキシコシティの国立人類学博物館内で、石器時代人の驚くべき見事な加工で製作された、多数の黒曜石製品に圧倒されるおもいであった。

メキシコ国立人類学博物館展示の各種石器・(左)の多数ある石槍などをモデルに土産が作られたか。(中)長さ50cmもある黒曜石製石槍や石刃石器。(右)先回も部分を載せたが、黒曜石を打ち欠いて作った人形

 長さは30〜40cmもあり、幅は5〜6cmもあろうかというような大石刃は、そのまま刀と言えそうなもの。50cm以上はあるような、大槍先形品・・・一方では、高さ7~8cmの小形人形を打ち欠いて綺麗に作ったり、ガラスの硬さの黒曜石を、刳抜磨き上げて、まさにガラス容器のような、滑らかな製品を製作したりしていた。

 このメキシコで、著名な観光地となっている遺跡地では、様々な民俗的土産物が、露店などでも販売されているが、そこには石器時代の石器かと見まがうくらい、打製で巧みに作られた、黒曜石製の槍先なども販売されていた(上の写真中)。

 15世紀初頭スペイン人が現れるまで、石器時代であったこの地では、かつては石器石材が重要な交易品であり、原石産地を握る部族に、富や力をもたらせていたようだ。世界遺産の一つであるテオティワカン遺跡は、太陽や月のピラミッドとして知られる巨大な石積構造、長い直線の死者の道など、幾代もの遺跡が重なる著名な遺跡だが、この遺跡を築いた力の一つには、黒曜石もあったようだ。国立人類学博物館にも、この遺跡からの出土品が、大量にあった。

 この広大な遺跡は、まだ多くが未調査地であるという。ここでも黒曜石の原石を売る露店商がいた。母が日本人であるという若い女性ガイドさんは、大変熱心な人で、黒曜石の話しを少ししたら、「小さいかけらなら一杯落ちているところがある。」といって案内してくれた。そこは現在駐車場になっている所であった。

 土の表土がならされているだけの駐車場、指摘のところをよく見ると、土の色が少し違う。そのあたりにだけ、キラキラと小さい黒曜石のかけらがかなり多く見える。どの時代に属するかは不明だが、少なくとも石器の加工場所だったはず、ここも遺跡地の一角だった。

長野県星糞遺跡、石片は全て黒曜石片

メキシコ、テオテワカン遺跡の駐車場(左)地上色の異なる部分に、黒曜石砕片散布(右)部分拡大

 日本の長野県での黒曜石産地は、諏訪湖の北東に位置する霧が峰から八ヶ岳の一帯で、そこには石器時代人が、石材を得るため、多くの遺跡を残している。現在の地表にも窪みを残すような採掘跡が無数というほど残された遺跡もある。

 その一つが、訪れた星糞遺跡であった。ここの地表にも、落ち葉や草を手で軽く除くだけで、キラキラと輝く多くの黒曜石片が目に入る。うかつに素手で草を払って、破片で指先を傷つけた。ガラス容器を壊した時と同様の状況・・・・石片群の中に、縄文人が石片を加工中のイメージが・・・

 ここの峠を行き来した江戸時代人は、足元の細かい輝きを、「星の糞」と称してきた。石器時代人を知らなかった彼らも、夜峠道を超える時、天空の星人と話していたのか・・・もし江戸時代人が、遠い昔に多くの石器時代人が、この地を訪れていた事を知っていたら、この地を何と呼んでいただろう・・・「石人糞」?・・ここでは楽しい言葉の土産と、指先の小さい傷。

 ・・・・・ところで「星の糞」で思い当たる事は、2013年11月29日、これはまさに現在の事ではあるが、今年の天体ショーとして期待の多かったアイソン彗星が、太陽に接近しすぎて霧散したこと。この彗星に対しての期待は、この「よもやまばなし」の<146話(3月15日付)で、倉敷の誇りでもある本田彗星先生の事跡を取り上げたときにも触れたものだった。まだその星の滓は天空にあるのではの期待も・・・・人は地上でも天空でも、いかに小さいものでも見逃さないぞ!!と言う事のよう。

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