(170) 長七三和土(たたき)(人造石)

倉敷市呼松に建つ1883年の事件関係者顕徳石碑。建立は1955年

 先回は明治20年代(1887〜)頃の、倉敷河畔にある荷揚場を話題としたが、その中で当時「人造石」というものがあったことに触れ、次回に少し詳しく述べるとしたので・・・ただこの話は、先回の荷揚場よりいま少し古い、明治も10年代の事である。

 先回新発見の倉紡荷揚場について、その構築には人造石製造と同様な材料や技術が使用されたのでは、と推測した。というのも明治16(1883)年に、現在は倉敷市内である児島の一角に「人造石」の製造所があったらしいことによった。

 現在、人造石と呼ばれているものは、まったく工業的に作られた土木・建築の用材であろう。しかしセメントが国産となって普及するまでの人造石とは一体何であろうか?・・先回も述べたように、セメントの国産品が普及し出すのは20世紀に入ってのことらしい。

 ところで当時の地元新聞「山陽新報」の明治16年9月7日と12日の記事によると、児島の一角、今の倉敷市宇頭間に人造石製造所があり、そこへ呼松村から、多数の村民が抗議に押しかけた事件が報ぜられている。当時ここで製造されたと思われる人造石の使用に、深く関係した一つの事件があり、その事件は、今も倉敷市呼松の地に、関係者に対する顕彰の石碑が建つている(左写真参照)。

 事件については後ほどということで、とりあえず「人造石」のこと・・・じつは服部長七という人物による「長七たたき」とも呼ばれている技術で作られた構造物を、当時日本の中央官庁に勤める外人の役人が、「この人造石は何か」と尋ねたことから呼ばれるようになったという。これは服部長七が、古い三和土(たたき)技術を改良した、いわば新発見技術でもって、製作した製品だったのである。「人造石」ということは、人造石工法をも指している。

 服部長七〈1840(天保11)〜1919(大正8)〉は、愛知県生まれ、左官の三男だったという。後に東京に出て、日本橋で饅頭屋を営み、繁盛したともいう。1879(明治9)年に、新工法、花崗岩の真土(まさつち)と石灰を混ぜて練ったものが、水中でも固まることを発見。もちろん材料の割合や練り方が、重要なことであろうが。だが彼は、自分を「文盲」といって記録は残していないらしい。

 廉価でしかも堅牢な仕上がりで、塀とか重要な建物のたたき工事だけでなく、明治初年の大掛かりな築港や築堤・護岸・池樋門工事などにも使用されている。上野動物園の塀だとか広島県の宇品港もこの技術によるとのこと。岡山では吉備浜新田工事に使用とされるが、これが先の「事件」にも関係するものと思う。

倉敷川の倉紡荷揚場。先回も写真を載せたが、新発見と以前から知られた荷揚場の状況比較。下面は長七たたき工法か?

 『新修倉敷市史11 史料近代(上)』には吉備開墾社に関する史料が載る。その中に、児島の呼松村ほか四か村の沖に、人造石を用いて堤防を築き、干拓する件の関係書類がある。日付は明治16年8月。その文中に東京の服部長七より人造石製造を伝授されたとある。吉備開墾社は、明治維新後、禄を離れた備中各藩の士族320人余が海面埋め立てを目的に設立したものだった。

 吉備開墾社は、干拓地に近い児島の一角に、人造石製造所を作り、呼松沖に堤防を造り出したようだ。その海に入れるものが、一見土製と見えるカメ状のものだったのだろうか。しかし呼松村人のほとんどが、前面の海での漁業に関係しており、その海の干拓事業に関しては何の知らせもない状況だったようだ。
 これは呼松の村人にとっては死活問題であり、多くの村民が製造所に抗議に行き、堤防に使用された人造石を壊したと伝えられる。これを地元では「ジンドー」と呼び五右衛門風呂くらいの大きさの物だったようだ。

 地元ではこの事件を「カメ割事件」と言い伝えていた。一部の村民は警察に拘留され、吉備開墾社とは訴訟になったが、村民が一致団結して訴訟に勝ち、漁場を護ったと伝えている(『福田町誌』1958年)。碑文の趣旨も同様なことで、特に先頭に立った人物をたたえている。

 この干拓事業は、明治17年にこの地をおそった、台風による高潮の大津波(よもやまばなし106話参照)での破壊もあり、結局は挫折している。政府からの借入金2万円も棄損となっている。

 ところでこの石碑は、1955(昭和30)年に建てられたもので、事件からは70年以上も後の事である。碑文中の明治13年は、吉備開墾社が設立された年で、事件発生時よりは3年もふるい。

 歴史事実の確認のむずかしさ、忘れ去ることの多さを思う。人造石についても同様の思いが強い。長七たたきは極めて優れた、地球に優しい技術らしい。最終的には全て土にかえるものとか、現代のアンコールワット修復の部分に、この技術が利用されたとも聞く。

 倉敷河畔の新発見荷揚場も、大変堅牢なものだった。水面に接するこの場所では、長七たたき技法が用いられたに違いないと思うのだが、今その技法を知る建築業者は、身近にいるのだろうか。

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