(189) 羊?にひかれて・・

中国吉林省集安近郷にて 羊か山羊か 2008年

 今年は未(ヒツジ)年だから、先ずは羊の群れで新年のご挨拶を・・・と申し上げたいところなのだが、ここに挙げた写真の動物は、どうも羊か山羊かはっきりしないようだ・・・

山羊の尻尾は短くて立っており、雄には立派なヒゲがあるという。羊のほうは、尻尾は長くて垂れているとか。とはいえ共にウシ科の大変近い種類で、ヒゲのない山羊もいるという・・・百科事典の知識に過ぎないが・・・写真の動物、ひげは見当たらないが、尻尾は立っていそうで・・・

 年が改まると、何処かしこで十二支が引き合いに出されるのは、わが国ではまだ恒例のようだ。つい芸もなく身の回りに該当動物はいないかと探したくなるのも、当方の年齢のなす業だろう。考古館内の遺物で探したいところだが、あいにく日本の考古資料が中心の当館には、今年は該当品が無い。

 それでは写真でも・・・と古い画像を見ていたらこのショットがあった。すでに8年も前のことだが、中国の東北地方、吉林省集安に観光ツアーで行った時、偶然に写していたものだった。

 集安といえば多くの方はご承知の通り、高句麗時代の有名な遺跡、広開土王碑や将軍塚などある地域だが、高句麗は北朝鮮をも包括した国であり、ユネスコの文化遺産には中国と北朝鮮両地域の、著名遺跡が同時に指定されたのだが、現代社会では間の国境線で分断されている。

 また広開土王碑と言えばこれもお馴染み、王が国土を広めたことを称える文面中に、「倭」についての記載もあり、当時の国際情勢の中で、文字・文面の保存状況も含め、多くの議論を呼んでいる。

 その中の中国側遺跡見学に行った時、偶然にバスのすぐ脇を追われていった動物の群れを見て、思わずシャッターをきったのだった。そのときは羊の群れと思っていたのだが、今回良く見ると、山羊だったようでもある。新年早々、すっきりしない横着なご挨拶であるが、ご容赦を。

 ともかくも牛でないが、ウシ科動物にひかれて・・・ということで、ついこの群れに続く画面で、集安遺跡へ・・・広開土王碑やその近くにある将軍塚や、大王の墳墓だろうとも推定されている、大形の石積段築の方墳など。広開土王碑の製作者は次代の長寿王で、建立は414年というが、将軍塚はこの長寿王の墓とも言われる。

広開土王碑
上 2008年  
下 1915年頃
将軍塚
上 近年
下 1915年頃写真は 『朝鮮古蹟図譜』より
(上)山城下の群集墓 2008年
(下)集安周辺の群集墓 1915年頃

 この塚(左写真の中央)の外形の保存は良く、古い写真でも立派な大形の方形石積み段築の姿がよくわかる。近年の写真は、インターネットのウキペディアからの拝借である。他の映像でもよくみかけるだろう。1辺約40m、高さ約12mという。

 こうした著名な墓だけでなく、当時の都城であった丸都山城近くには、墳墓の群集するところもある。その一部分で、2008年当時に写していた映像を示したが、大王墓に比較すると小規模とは言えこれらのなかでも、明らかに石積み段状方形の墓が見て取れる。この城が都城であった頃までの墓であれば、4世紀末から、5世紀初頭頃のものであろうか。

 ところで先の186話では、奈良の都塚を話題としたが、この古墳が最近の調査で、一辺40mの方墳で、石を利用した7段積みにもなる構造かとされた。その報道新聞紙上に掲載されていた都塚の外形推測図は、まるで、100年前の『朝鮮古蹟図譜』に描かれていた将軍塚の外形図を参考とした観がある。

 都塚調査関係者も、コメントした多くの学者も、都塚の主を蘇我稲目と考え、『日本書紀』中の稲目についての記載を意識した上での発表だということがよくわかる。書紀には稲目が活躍した欽明紀には、朝鮮半島の国々との外交関係が、複雑に記されており高句麗(高麗・狛)の記載も多い。

 そうした中で贈られた高句麗の女性二人を、稲目は妻とした、などともある、あるいは母が渡来人である人物も、しばしば記載されている。それらを確かに欽明紀の事とはできなくとも、わが国の6世紀から7世紀ごろの大きな動向を示していることには、違いない。

 4世紀末から5世紀初頭と考えられている高句麗の大王墓と、6世紀もかなり後半の都塚との時間差はあっても、その間、わが国とこれらの国々との交流は、出土遺物から見ても強い関係の続いていたことは疑えないことを示している。

 6世紀代から7世紀になると、特にわが国内では、大王家をめぐる勢力や政治体制も、朝鮮半島や中国の国々との外交関係も、大変複雑になっていたと言える。海外派兵も度々問題となっている。遺跡・遺物から見ても、大きなしかも複雑な変動期だったと言える。こうした時代のまず先端をきっていた人物達の1人、そうした人の墓が、都塚であることには違いないだろう。

 羊だか山羊だかに引かれて、思い出した古代社会の姿は、絵空事ではない・・・昨年末、まったくすっきりしない選挙を終わった我が国は、今年はどちらに向かうのか・・・100年後の子孫が、今年を悔いる事のないように・・・・


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