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(208) 綿の木 

  綿の木とその実
   ジャワ島にて
 バスで市内を移動中、日本語のガイドさんが外を指して「綿の木があります」といった。今年(2015年)9月に、ちょっと短期の観光ツアーで、ジャワ島へ行った時のことだった。「綿の木?」・・・木?とは少々気になる表現だったので、慌ててそちらを見たが、綿らしいものは見えない。

 綿の生えているのはそれほど珍しい事でもなし、道路沿いは家続きで畑らしい物も見えないし、同行者もあまり反応していない・・・と行き過ぎたが、ガイド氏また続けた「ここにも・・あそこにもあります」・・・あちこち目を移したが、どうもよくわからない。

 世界遺産でもある、著名な大仏教遺跡のボロブドールや、ヒンズー教関係遺跡などの情景を堪能した帰り路で、公園風の広場を通った時、ガイド氏が、歩きながら拾い上げ、私たちに示した物、それが左の写真のものだった。

  「これが綿の実、中身はこんな綿です」と実の中から綿毛を引き出した。「あそこに綿の木がある」と高い上の方を指した。そのあたりにはいろいろな木があるようだ。バスの中で「綿の木」と聞いてはいたが、不覚にも背の高い本当の「樹木」だとは思っていなかった。綿の実が欲しいと探していた私に、ガイド氏がこの写真の実をくれた。

  このような実のなる木、高い木々の枝葉の中から、同じような実のなっている木にたどり着くには少々手間取った。やっとシャッターを一枚だけきった物が、実の隣の写真である。

  空は夕暮れ近く暗くなりかけの逆光、分かりにくい写真だった。帰りを急いでいたこの時、同行者はかなり前に行っていた。

 帰国後、今度はこちらが、周辺のかなり多くの人物に「綿の大木」といってもなかなか信用してもらえない。実についても不思議顔、ただ中の綿毛だけは、みんな「綿」と認めた。しかし繊維は短い。この樹木の綿は何だろうと、ちょっと調べていたら、パンヤという言葉に行き当たった。

 パンヤなら確かに聞いていた。はるか昔の大戦直後の頃、木綿綿の代わりのようにして布団などに使用されていた物が、パンヤと呼ばれていたことを。ただこの原料が樹木の実だった事は全く知らなかった。考えてみれば、短い繊維だったので蒲の穂くらいに思っていた。案外戦時以来、物資が少なくなっていたので、パンヤといいながら本当のパンヤでなく代用品だったかも。

 改めて、手近にある簡単な百科辞典を見ると、大変よく似た果実が大樹にぶら下がった写真が載っていた。「カボックノキ」というパンヤ科の木があった。20〜30mからの大木になるらしい。実の形は良く似ているが長さは10〜13cm、綿の繊維は長く、弾力に富んで大変軽い物という。

  しかしジャワ採集品は実の長さは長く22cmばかり、これが平均的な大きさだった。一方で繊維は短い。カボックノキに大変似た種類で「キワタノキ」というのもあるようだ。ともかく共に熱帯に産し、かなり大きくなる木らしい。カボックの綿はアレキサンダー大王の頃から使用されていた、上質のもののようである。

  ともかく綿といえるものは、古くから各地にあったようだ。日本では絹の繭から作る真綿のこと、正倉院に残る木綿は当時の輸入品。日本でも8世紀末頃に木綿を栽培しようとしたが不成功で、16世紀以降になり栽培が始まったようだ。最も盛んになって木綿が庶民の日常着となるのは江戸時代だった。

  私たちの頭の中には、綿の木といえば、日本でも近年まで栽培されていた、人の背丈にも足らない一年生植物。周辺国でも、その姿しか知らなかった者には、綿の大木に不明にも驚かされたのであった。

  日本の考古学資料にも僅かながら、繊維質の出土品は縄文時代以来ある。とくに弥生時代以後は、織物の布である絹や麻系材質の物が発見されている。ただ木綿はまだ無かったといえよう。倉敷考古館でも、日本の展示資料中には、発掘品での繊維資料は、金蔵山古墳の筒形銅器に付着していた僅かな絹糸だけのよう。鉄銹などで置換されたものはあっても。

南米ペルー
チャンカイ文化時代(日本の平安末〜鎌倉初)
ミイラに巻かれていた布
(左)木綿地獣毛鳥文刺繍
(中)木綿地絞り染め模様
(右)木綿地型文染め模様


  しかし当館では、南米のインカ帝国以前の考古資料を展示している。そのなかにはチャンカイ文化時代(日本の平安末から鎌倉初期頃)のミイラを包んだ布の一部もある。その基本となる部分の布は木綿である。日本の木綿よりはずっと古い。

  ともかく各地・各時代の人々は、身近な材質の物資を上手に生かして生活を豊かにしていたのである。しかし一方では僅かな機会でもあると、今まで全く知られてなかったものが、有用・悪用されるような物にかかわらず、驚くほど速く世界に流通・蔓延しその地の文化に定着しているのも確かである。と同時に、各種の製品が増すほどに、本来の材料はわからなくなっても痛痒はなくなる。

  さてそのうち「綿」が植物質のものが基本だった事も忘れられたら、人々は植物の綿の草・木を見せられた時、なんと感じるだろうか。見た目に美しくもないものには、何の感懐もないのではなかろうか。

  知らぬことがあるということは、知る喜びもあるはずなのだが。

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