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(210) ジャワ島の震災とプランバナン寺院群

(左)プランバナン遺跡遠景シヴァ寺院一帯 地元パンプレットによる (右)遺跡入口の看板 震災の前と後
 前回・前々回とジャワ島旅行の話題だが、少々傾向の違う植物のことだった。旅行の基本はともかく著名な遺跡見学のはず。ただ地元ガイド氏の案内の仕方で、思わぬことに興味を持ったことで、まず話題の初めに、この小旅行でもっとも興味を引いたことを、取り上げてしまった。

  (倉敷という、一応観光地として知られる地域に勤め、常に観光客の興味を意識しなければならない者にとっては、自分が観光客になって見ることも大切・・・と、時々の私的な小旅行を、話題とすることの勝手な言い訳のようだが。)

  ジャワ島は、かつてはオランダの植民地だった。二次世界大戦中、3年ばかり日本の占領下にあったこの島は、1945年の日本敗戦後、オランダが再度上陸したことで、4年余り独立戦争が続いた。その間、中部にある都市ジョグジャカルタは首都となっていた。

  ジャワ島では重要な都市の一つであるこのジョグジャカルタからは、やや北寄りの東20km足らずにプランバナン寺院群がある。1991年に、ユネスコの世界遺産に登録されたこの寺院群は、237からの寺院で構成されているという。東南アジアで最大の、ヒンズー教寺院群であるともいわれる。ただこれら寺院には、仏教的なものが、ヒンズー的なものと共に見られるとも言い、中には宮殿跡も存在するようだ。

  寺院群の中心的建物は、シヴァ神を祭る高さ47mのロロジョングラン(「痩身の乙女」の意味らしい)寺院で、創建は7世紀末から8世紀と云われているが、だれの建立かは正確には分かってないらしい。周辺にはヒンズー教に関係する多くの神々の寺院が、同様な姿で林立している。冒頭の写真はそれらの美しい遠景の姿だが、実はこの写真は現地で販売されているパンフレットの写真から拝借。

  現在(2015年9月)現地を訪れると、寺院群入口で迎えてくれたのは、右隣の看板だった。実はこの寺院群、理由は不明だが古い時期に見捨てられ、1000年以上も放置され、その大部分は崩壊し石材が散乱した状態であった。だがオランダ統治期の1937年から、遺跡の修復作業がすすめられてきたのである。

  途中戦乱期はあったが、1953年には中心的な石造寺院の修復が完成していた。そうした中でこの遺跡は、世界の文化財としてだけでなく、この地にとって観光資源としても重要な遺産となっていた。その見事な石造構造は内陣を持ち、中には神仏の像や、関係する象徴化された造形などが安置され、壁面は多くの神や人や獣類の入交じる物語を表現した、彫像で飾られている。これらはヒンズー・ジャワ美術として知られ、日本人観光客も多く訪れていた地だった。

(左)シヴァ寺院周辺に詰めかける見学者 別の建物には足場も組まれている
(右)周辺には修復用の資材や溝や土盛り

  ところが2006年5月27日、ジョグジャカルタの近郷で、M6.3の直下型地震が起こり、死者は5776人にのぼり、民家倒壊は276,785軒に及んだと伝えられる。わが国からも自衛隊医療援助隊約150人が5月末から6月派遣されている。

 実は前回触れたことだったが、今回の旅行中の地元ガイド氏が、自衛隊の通訳をしたというのは、この時のことのようである。

 この災害で、プランバナン寺院群も大きな災害をこうむったのである。これが入口の大きな説明看板であった。災害前の様子と、災害後の様子が並べられていた。そうして現在も復旧作業が進められている中での、見学だったのである。 ・・・ガイド氏が「マスクをするか、鼻や口を覆ってください。」・・・遺跡地の入り口だった。

 急に言われても持参したものは、みなバスの中、内心「必要ならもっと早く云えよ!・・」と云いたいところだったが、あるいはこちらの聞き漏らしか・・・こうした場合少々しつこくとも、繰り返し事前に注意すべき・・・誰しも説明などすべては聞いてないと云う事だ。同行者は私同様、驚いた人が多かったようだ。・・・ともかく、ここでは、修復工事での埃が激しく、見学には、頭や鼻・口は覆ったほうがよいとのこと。

  最も著名なシヴァ神を祭るロロジョングラン寺院周辺は、写真で示したように、多くの観光客であふれていた。地元の生徒や学生も多い。ジャワ島の属するインドネシアは、イスラム教徒が9割以上と云う国柄、見学者には、もともと顔や頭を覆う人も多いのだ。足元は修復中のガタガタの地表面や、多くの石材の散乱、建造物には足場も組まれた状況・・・確かに周辺一帯には土煙りも立っている。

  ガイド氏は周辺の多くの寺院を説明して、シヴァ寺院を望むところでは、「あそこは一応入れますが、上には登れません。地震後修復が進んでないので、いつ頭の上に石が落ちてきても保証できません。それでよい方はどうぞ。」周辺には見たいところばかり、同行の誰も、シヴァ神の建物には近づかなかったが、入り口への階段を上る観光客も多く見られた。

  シヴァ神に関係する物語は複雑で、それが多くの建物の主神や周辺を飾る彫刻と関係するため、よほどヒンズーの神々や関係の神話に精通してないと、一応の説明は聞いていても、個々壁面の彫像が何を意味しているのかはよく分からなかった。だがそれぞれの見事さや美しさ、造られた時代の感覚などを見ているだけであったが、それで「可」としていた。

寺院の壁面や崩落した石面の彫像各種


 日本を訪れるおおくの観光客も、神社・仏閣を続けて見ていった時などは何を思っただろうか。見る人で異なるのは当然だろうが、一般的には、どれも皆同じに見えるのではなかろうか・・・・それでも細かい知識はともかく、知らぬものを見ること、知ること、それが楽しいことなど、どこの観光客にも、互いに共通していることだろう・・・・と云うような感想も。

  今一つ思うことは、この遺跡に限った事ではないが、人災・天災で壊れた遺跡が、またいつの時か、造る時以上と思われる手間暇かけて復元される。人類は自分達で造っておきながら争っては壊し、放置し、忘却し去り、また自然災害で激しく壊れたものも、なぜ修復するのか・・・・これが人類である私たちが、他の生物とは異なって、歴史につながっていることを忘れたら生きていけないDNAがすりこまれた生物の証ではないのか。過去に学ばねば滅び去る生物と云う事なのでは・・・・

 遺跡を前にしての妄想はそこまで・・・・この旅行で楽しんだ今一つ、地元では当たり前の食べ物、ハトを食べたこと。それでもホテルなどで出されるものではない。あのガイド氏に頼み、特別に調達。日本では平和のシンボルを食べたなどひんしゅくを買いそうだが、美味しかった。

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