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(211) ジャワ原人博物館の里

ジャワ島中央部ソロ川流域にあるジャワ原人の博物館入り口風景
(左)駐車場では大きな原人の顔が迎える
(右)入口すぐ近くではオートバイが溢れている
 ジャワ観光旅行の私的な関心事の中心は、やはりジャワ原人の博物館だった。ジャワ原人といえば、考古学に関心を持つ以前から知っていた名前であり、これは多くの人にも共通することだろう。人類のもっとも古い祖先であり、ピテカントロプス=猿人として子供の本にも登場し馴染みになっていたと思う。

  この化石人骨は1891〜2年つまりは19世紀末に、オランダの学者によって、ジャワ島中央部ジョグジャカルタの北東にあたるスラカルタ(ソロ)市北方15q、ソロ川ほとりのトリニール村サンギラン集落で発見されたものである。ただこの時は、10数メートル離れた地点で発見された、頭蓋骨と大腿骨をあわせて、直立猿人(ピテカントロプス・エレクタス)と名付けたのである。それは頭は猿に近く、足は人間的であったということだった。

  1930年代になって中国北京の周口店で多くの化石人骨が発見され、時期差のあることも判明する中で、北京原人が明らかになった。これによりジャワ原人も北京原人も同じころの「原人」と云う事が、明らかとなったのである。ジャワのサンギランは古くから各種の化石動物が発見されており、それでよく知られていたのだが、人骨もその後の調査では、数期にわたっているとのことである。

  ちなみに1945年ころよりアフリカのオウストラロピテクスの研究が進み、これらが猿人でジャワや北京は原人として、進化の上の位置が確定したのである。

  ジャワ原人博物館は、谷間に面す山腹というようなかなり高い地にあった。周辺は、木々が茂り地形は見わたせないが、前面には谷川に面する盆地が広がっているようで、その一帯が化石の出土地だと、ガイド氏の説明だった。この博物館自体、かつては地元民が発見した化石を地元有力者が集め、そこで見学者に見せていたが、近年になって国が博物館を造り、その収集品を主に展示している、と説明した。

  博物館の入り口近くには、原人の大きな顔が出迎えてくれるのは、周口店の博物館と同じである。このあたりは車の駐車場だが、山際の狭い地形なので車に注意。徒歩で今少し進んだあたりでは、女性の原人?と子供の像が出迎えてくれたが、驚いたのはその一帯にビッシリと並べられていた、皆真新しいオートバイだった。つぎつぎと彼女を後ろに乗せたオートバイがやってくる。この地では格好の良いデイト場なのだろうか?



左の写真は博物館出入り口周辺と、展示状況の一部  パノラマ展示と概要説明展示が主体である


左端は大きな角を持つ獣骨頭部化石、化石獣骨は多数発見されている。
つぎはサンギラン発見の原人頭骨とおもわれる。
つぎはフローレス人頭骨。
右端はフローレス人の説明パノラマか。


 博物館を訪れたのが、偶然にも日曜日だったからかも知れないが、博物館の盛況を少々驚きながら館内にはいると、人類の歴史のパノラマ的な展示から始まっていたが、ここにはカタログもパンフレット的なものも一切見当たらない。展示説明はとなると、残念ながら全く不明な外国語が主体。ガイド氏も専門的なものはお手上げ・・・こちらの不勉強の方が悪いようだ。

  お目当ての原人らしい展示も、よくよく見ないと、他国の有名な人骨レプリカも混在するようだ。やっと「サンギラン」にナンバーの付いた数点の人骨が展示されているケースを見つけたが、番号は出土地点を指すようで、人骨の素人であるこちらには良く分からない。ほとんどの見学者はその前は素通りである。専門的な重要資料の展示がいかに難しいことか思い知らされる。

  この博物館では、多くの研究者の紹介の部屋もあり、時代も新しくなったものについては、丁寧な展示もあったが、やはり説明が分からないので、もどかしい思いだけであった。こうした展示の後に、小さいケースに収められていた、フローレス島出土人骨おそらくレプリカと思うが、展示があった。これも誰も足を留めてはいなかった。

  2004年頃ジャワ島・バリ島よりなお東の、フローレス島の洞窟から出土の複数の小人人骨は、わが国の新聞紙上にも載せられて世界で注目された新発見だったはず。脳容量は大形チンパンジーより小さく、身長も1mばかりの大変小さいが、人類と認められ、すでに火を使い石器を使用し、大型動物を捕獲し食料とした、新種の原人と考えられている。12,000年前の火山の大爆発で滅びたとも考えられている。ジャワ原人との関係など、問題の多い重要な人類である。現在では台湾海峡出土の澎湖原人も加わって、アジアの原人問題も複雑多様のようだ。

博物館からすぐ下に見える人家や畑
  この博物館では、館内の撮影はすべて可であったが、時間も無く、条件も悪く良い写真は撮れなかった。博物館のすぐ下の谷間には、地元民の住居らしい家々がかなり見られた。ガイド氏によるとこの博物館を管理する人の住居も多いらしい。博物館入り口近くには、土産を売る店らしいものも見られたが、同じジャワ島での著名な観光地、ボロブドゥールや、先回話題としたプランバナン寺院群と違い、土産売りの人々が観光客に付きまとうこともなかった。同じ世界遺産の遺跡なのだが。

 土産物店も通りの道辺ではすぐには見当たらない。ガイド氏いわく、「土産物店にあるもの、買うのは自由ですが、みな空港で没収されます」とのことだったので、化石動物類の骨などが土産店にあるようだ。ただし現在ではどれだけが本物なのだろう。レプリカ類ばかりではないのか。ここでの土産物店はちょっと覗いてみたかったが、立ち寄る時間などはなかった。

  かつてこの地では、住民たちが生活の中で掘り出した化石類が、販売されてきた歴史を背負っているのであろう。

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