(27) 盗人マークの忘却

 今回も「この写真は何でしょう?」から始まることになる。もちろん倉敷考古館に存在するものである。ただ考古館の開館中に来られた方には、ちょっと見当が付き難いかもしれない。それがヒント。

 ところで一ヶ月ばかり前の話だが、岡山市の仕事として、文化財指定に関係した調査を行った際、今回の写真とも関係ある事に遭遇した。検討する対象には、地域、地域で守られてきた神社の本殿なども多い。神社は信仰の対象であるから、ご本殿への俗人の立ち入り許可には、時々で大きな違いがある。

全く立ち入り禁止もあれば、お払いしての立ち入り、そのまま何事も無く許可される場合もある。ただ神主さんや、神社総代さんの立会いの下というのはもちろんの事である。

 先日の場合、立会いの総代さんに本殿拝見のお願いをしたら、「幾らでも入って頂いていいのだが、このご本殿は開かずの扉なので入れないのです。」とのご返事。事情を聞くと、実は誰にも鍵が開かないのだとの事だった。鍵は拝殿にあるのだがとか。

 早速に鍵を見せて頂くと、それは7の字に近いと言うか、L字に近いと言うか、まさに「カギ(鉤)形」に屈曲した鉄棒製品だった・・・一行の中には建築専門の先生もおられる。先生はすぐにそれを取って、1~2回の試行の後に、難なくご本殿の開かずの扉を開けられたのである。驚いている総代さんを尻目に・・・現在の総代さん達には、この種の鍵は、まったく使えなかったらしい。

 実は内心、あの鍵なら私でも開く、と思った。鍵自体も軽く小さいので、この本殿の扉を開けるほうが楽だと思ったのである。何と比べていたかと言うと、倉敷考古館の土蔵造本館の正面扉と比較してのことである。

 考古館の主要な建物は200年ばかり前の土蔵であって、この倉の閉鎖のためには、一般的な鍵の他に、扉を閉めると、敷居に作られた窪みに、扉から棒状品(当地方では「こざる」と呼んでいる)が自然に落ちこんで、動かなくなる構造が付いている。

 これはふるい木製の扉つきのものには、ごくありふれた構造であり、玄関口の戸や雨戸などの簡単な閉鎖装置でもあった。しかしこのようにありふれた鍵ではあるが、一度締めると、外からは容易に開けることは出来ない。こうした構造の戸を外から開けるには、戸の一箇所にあけた孔に、曲がった鉄棒状品を差し込んで、敷居にはまった「こざる」を持ち上げて扉を開ける仕掛けなのである。

 遠い記憶であるが、戦災以前の岡山の銭湯では、木製ロッカー状の衣服入れに、こうした構造があり、風呂から出ると、番台から曲がった棒状の鍵を借りて、各自が開けていたように思う。当時、まだこうした鍵は、誰もが普通に使うものだったのだ。

 倉敷の考古館では開館以来20年余の間は、重い土蔵の戸を、かなり大きな鉄棒の鍵で開けてきた。考古館に勤めるものは、まずこの鍵が開かないでは勤めにならなかったのである。幾人の若い人が、鼻の頭に汗をかきながら格闘したことか。

 最初の写真はその大戸にある鍵穴と、周辺を保護した鉄板の飾り板である。そのため開館時にこの戸は、壁の後ろに引き込まれているので、鍵穴は見えないのである。

 今回は日記の代わりに、先の神社での続き

 開かずのご本殿の中には古くからの、棟札、修理札など大切な記録が全て保存されていた。一番新しい年号のものは、昭和も最終1987年頃のものである。僅か20年前だが、されど20年ということか、その間に開かずのご本殿になったと言うことだろう。

 資料が多いため、後日今一度の調査許可をお願いしたら、「あの先生が来られないと戸が開きませんよ」と総代さんの言。そこで市の担当職員さんに、すぐ今のうちに開ける稽古をと言い、彼の努力でやっと開錠の技術は伝承された。

 ところで鉤形というと、何かに引っ掛かるような屈曲した形を指すが、最も一般的な鍵が、まさにその鉤形であった。それに由来するかどうかは知らないが、鍵と関係深い盗人のことを、かつては人差し指を鉤形に曲げた形で表現していた。

 そこで60歳はじゅうぶん過ぎておられると思われる総代さんに、「人差し指をカギ形に曲げた形が、盗人を意味したということ御存知ですか」と、伺ってみたら、まったく知らないとのことだった。これではご本殿の鍵も開かずの鍵になる筈、現在では鉤形の鍵は、鍵では無くなったということだろう。当然、カギ状に曲げた盗人表現の指マークも、遠い昔の事。


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