(43) 女護が島?

船元貝塚出土
縄文時代中期の土器
 少し先の40回では、男性四人が同時埋葬された話だった。縄文時代のことである。今回も縄文時代のこと。左の写真の土器が出土した遺跡、倉敷市の南端に位置する児島の粒江地区にある、古くより著名な船元貝塚での話である。

 写真はその船元貝塚出土の土器片の拓本と器壁断面図で、遺跡の調査報告書などに使う、なんとも味気ないものである。この土器は考古館に展示してあり、「船元U・V式」などと、これも考古学の専門家にだけ通用する用語で呼ばれる代物だが、縄文時代を勉強する者には、それだけで西日本の縄文中期の代表的な標識を示す土器と分かるのである。

 しかしこうした遺物だけ見ていたのでは、この遺跡に対して特に興味はわかないであろう。その地が「児島」の名の通り、近世近くまで島であり、この遺跡もすぐ前面まで瀬戸内海がせまる、低い台地になった先端にある。瀬戸内の中央近くで、縄文時代の貝塚が密集するこの地域では、ごく普通の立地と規模を持つ貝塚であった。

 ところで右下の写真は、実は1920年(大正9)10月頃の遺跡周辺写真で、当時この貝塚が発掘調査された時の写真。幾枚かが地元に残されていたものを、これも30年ばかり前に、複写させてもらったものである。ここにあげたのは、人家庭先での発掘風景と見物人も含めた集合写真である。この時は人骨が3体発見されている。

1920年(大正9年)10月 船元貝塚発掘時の写真
(左)人家の庭で人骨の発掘中  (右)発掘関係者と見学者か
 この調査の直前の同年5月には、京都大学の清野謙次氏(1885―1955)が、この地で14体の人骨を発掘している。彼はこの遺跡のことを、粒江貝塚とも、小字名から原崎貝塚とも記載しているが、同一貝塚のことである。正式の遺跡調査報告は無いが、同氏の『日本原人の研究』(1925年)には次のような事が書かれている。本文通りではないが、要約だけを参考に記しておこう。

 「この貝塚は児島半島連山の北側で、南西から北東に突出した低い丘陵上にある。・・貝塚上には人家が多くたっている。・・・
 貝層中央部はほとんど地ならしで失われ、最下部が残るだけである。こうした所に人骨は多く、人家の庭先などである。地表下数寸で人骨が現れる。14体を発掘した。・・ぼくの掘り続きから、同年の10月に福原八郎氏と島田貞彦氏が人骨3体を得たが、まだ発表せられない。」

 庭先を掘った人家に残っていた写真は、この後者の発掘時のもので、写真の中には出土人骨3体もある。

 発掘関係者と見物人との集合写真では、よく見ると子供たちは全てまだ着物姿で草鞋履き。90年近い昔では、風俗にはかなりな違いが有る。今ひとつ気になるのは、この写真中にすぐには女性が見当たらない。子供を抱いている人も男に見えるのだが、あるいは女性?この人物の左隣があるいは老婆かも?・・・目立つのはすべて男性。

 この頃発掘などは、女性は見に来ないのか?・・人骨が出たから嫌なのか?・・・それとも写真など写すときは隠れるのか?・・衣服が気になるのか?・・・

 子供にまで女子が見えないようだ・・・右端近くで、男子の後ろからわずかに顔を出しているのが、あるいは女の子?この子の姿は子供を背負っているようでもある(ただ2枚の写真で、菅笠や帽子を被った小さい子の性別は不明だが)・・なぜ子供も含め女性がほとんどいないのか・・・当時の女性には、自分の好奇心を満たす時間など無かったというのが真実では・・かなりな年の老婆か、子供でも子守中だったことで、女もやっと珍しい発掘をのぞくことが出来たのでは・・・

 ところで女性といえば、この貝塚の出土人骨の性別で少々奇妙なことがある。

 現在京都大学に保管されている、船元貝塚人は、清野氏発掘人骨が主なものであるが、これらの性別は、男性は2人、女性は10人、性別不明が2人ということである。(山田康弘「人骨出土例の検討による縄文時代墓制の基礎的研究」2002/3)。先の1920年の同じ地域での集合写真上の男女数とは、正反対。

 この状況を見て実は首をかしげたのである。というのも周辺での貝塚出土人の性別と比較して、京大蔵の船元貝塚人はずいぶん女が多い。同じ児島の海辺にある、岡山市彦崎貝塚(つい近年国指定史跡となった)では21体中11体は保存が悪く性別不明だが、分かったものでは男性6・女性3・幼1だった。考古館で調査した倉敷市里木貝塚は、船元貝塚からは海を10kmばかりへだてた北西で、おなじ瀬戸内に面しているが、23体中、不明4・男性12・女性5・幼小2。

 先の40回で話題にした涼松貝塚でも、実は人骨は時々に17体が発見されている。ここでは男性12・女性4・幼小1で、先回の男性4体同時埋葬を特異なものとして、男性からこの4人を除いても、男性は8で女性4の倍である。

 ともかく船元遺跡周辺で、同程度の数の人骨が出土している貝塚では、男は女の2倍からいたことになる。この中で、船元貝塚では断然女性優位である。貝塚に埋葬されている人骨だけで見れば、船元貝塚は女護が島(村)ということであろうが、さてなぜこのような現象が起きたのか?・・・縄文時代の謎もまだまだ多いようだ。

 この船元貝塚のことは次回でも扱いたい。出土人骨については、奇妙なミステリーもあるのだ。


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