(46) 鉢巻おじさんの不思議な仲間―その1、双子か兄弟か−

 少し前の話になるが、この「よもやまばなし」の(37・38・39)の三回にわたって、当館所蔵の装飾須恵器上に付けられた、鉢巻姿の小像を話題とした。その時に、この種の土器の中には、双子のような2個の土器が、一つ古墳に納められる場合がかなりある事も話題とした。

 実は考古館所蔵のこの鉢巻おじさんの土器にも、双子のお仲間がいた可能性があったのだ。だがこの双子の片割れが、世間にあまり顔を出さなかったことから、その真価が知られてなかったのである。というのも、装飾須恵器の多くに贋物がある、それも岡山県周辺発見とされるものが危ない、という定評ができたことにも原因があるようだ。

 これは戦後間もない頃のようだが、確かに、上手い贋物作りが岡山近辺にいたとみてよい。古代の作り方に忠実な技術を持ち、焼き上がりの外見も、古代の作品と区別つかないほどのものが、残念ながらかなりな数作られていたようだ。

 1961年、半世紀近くも昔のことだが、この倉敷考古館で「吉備の須恵器」という小展覧会を行った。この時、某骨董商がかなりな点数の装飾須恵器を持ち込んだ。それらについては、あまりにも立派で、珍しいものが多いこともあり、当時かなり厳しい真贋論争がおこなわれていたようである。

 考古館ではその時、問題の品を展示に加えているが、多くの学者はこうしたものは、贋物だという認識であり、岡山には大変上手い須恵器贋作者がいるという評判が流布した。その後は、出土地でも明確にならぬ限り、珍しい器形や面白い表現の装飾須恵器にたいしては、全て疑問符が付けられる状況だったのである。

 例えば、その頃のことだが、当時ではもっとも著名な学者の一人が、考古館を訪れた際、たまたま東京国立博物館所蔵品で、出土地も明確な装飾須恵器を借用し展示していたのを見て、「ああこれが例の問題の物ですな」と説明ラベルも見ずに言われたのである。また38回に話題とした鉢巻姿の多い装飾須恵器なども、出土地が不明確なこともあって、寄託されていた或る国立博物館でも、展示される事はなかったようだ。

 ところで鉢巻おじさんの兄弟か双子か、と思われるものは天理大学付属博物館(参考館)所蔵品である。極めて珍しい小像群の付く装飾須恵器であるが、天理参考館では各種の所蔵品があまりにも多いということもあってか、この資料は数多い展覧会などでも、多くの人の目に触れることの少なかった資料である。

 しかもこの資料に付されていた添え書きが、或いはこの資料を、疑問視させていた可能性もある。いずれにしても、今回改めて、十分に見せていただき、公開の承諾を頂いたことを感謝したい。

(左)当館蔵        (右)天理参考館蔵
   両者肩の小像を除くと、そっくりか否か
 同館のご教示によると、この資料は1958年以前から収蔵されていたとのことで、箱に「岡山県都窪郡三須村作山古墳」の貼紙がある。ところで同館には今一つ、1958年に、東京の業者から購入した同種の資料があり、これには箱に「総社市三須法蓮」と書かれている。これは当館蔵の、鉢巻おじさんの出土地と伝えられた場所と同じだが、本体には何も書かれていない。ちなみに考古館蔵品には、脚の裏面に入手以前から書かれた「三須村法蓮 横穴古墳」の墨書がある。

 兄弟の判定、生き物のようにDNA鑑定でも出来れば文句も無いだろうが、ともかく精しく見せていただいた結果、土器の作りや個々肖像の実態で、古くからの蔵品、即ち作山古墳の貼紙の方が兄弟ではないか、と思えたのである。

 この資料の箱貼紙に「作山古墳」とあることで、なまじ考古学者は、この古墳が法蓮地区に近接してあり、知る人ぞ知る岡山県下第二の大前方後円墳、しかも時期的に見てここから装飾須恵器出土はあり得ないことから、岡山出土とする装飾須恵器を疑問視する風潮もあって、この最も珍しい資料が、深窓の麗人になっていたのではと思われた。レッテル偽装にも迷わされないように。

 それでは「何で判定したのか」となると、とてもここで書ききれるものでもなく、また退屈な話にもなるだろう。写真を上に並べた。陪審員制度よろしく皆さん御判定を。  

 両者の肩に並ぶ、小像達の示した不思議な世界は次回のことにしたい。


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