(54) 「火事だ」・・火の見櫓と消防機庫・・

2月21日午後 考古館近くの火事に、出動してきた消防車
ボヤで済んだが、見物人はいっぱい
 1台ならずのけたたましい消防車のサイレンが近づいて、近くで止まった。二ヶ月足らず前の2月21日の事である。もちろん倉敷考古館でのこと。少々慌てて表に出てみると、キナ臭い。よく見ると川を隔てた向かいの家並みの向こうから、白い煙がこちらに流れている。ただその臭いは樹木の焼けたような臭いで、新建材や合成繊維などの燃える臭いではない。

 消防車は本署のものが既に3台来ている。救急車まで到着した。考古館の真正面の橋の向こうに続く道路上である。しかし幸いなことに、煙はすぐ見えなくなった。ただ後で気づいた事だが、考古館の開放階段にまで灰が飛んできていた。

(上)1957〜1965年頃まで
考古館右の建物が消防機庫 壁はペンキで描かれたなまこ壁

(下)現在2009年の消防機庫は右から二つ目の蔵作りの建物  機庫裏に立つ火の見櫓で、白く見えるものは、干しているホース
 野次馬根性と言われても仕方が無いが、こんな時にはついカメラを持って飛び出す方なのだが、あまり近づく事でもないので、少々遠くから消防車だけ、1枚シャッターを切ったのが(右上)の写真である。逆光写真はまるで夜のようだが、午後1時過ぎのことであった。

 火災は空き家周辺でのボヤで済んだようで、やれやれと一安心。火事が怖いのはどこも変わりはないが、こうした伝統的な建物群として、保存を厳しく思う所にいる以上、何時も防火は心から離れないというのは、本当である。

 2月といえば倉敷は観光客の最も少ない頃だが、消防車の周りはなんと多くの人が集まっていることか。地元の人士だけでなく、観光客の方が多いようである。改めてこの倉敷川界隈の町並みは、多くの人をひきつけている事を思う。

 この日、ちょっと不思議に思ったのは、考古館のすぐ横にある、地元消防団の出動が無かった事だ。余りに早く鎮火したためかもしれないし、あるいは団員個人が現場に駆けつけたのかもしれない。この日の前日には、車は出動していたのだが。

 考古館のすぐ横の消防機庫には、地元分団の消防車があり、その後には古くからの火の見櫓が立つ。今ではまるで時代劇の中のセットのようだが、かなり近年まで団員召集の時には、大きなサイレン音がここから流されており、近い考古館では、いつもドキリとさされていた。いまでは携帯電話連絡なのか、このサイレン音を聞かなくなったが、火の見櫓の上には、今も半鐘もサイレンとスピーカーも付いている。

 半世紀近くも昔の事か、しばしば仕事途中の地元団員の人が、「電話を貸して」と考古館に走り込んでいたものだ。途中で知った火事の現場を、本署に聞き合わすためである。場所を確かめると、そのまま火の見櫓にかけのぼり、半鐘を叩いていたのである。団員召集の鐘もあれば、近火をしらせる早鐘もあった。2〜3人集まればすぐ出動である。

 このような状況だったので、考古館ではどこが火事現場か速く知れた。この時必ずかかって来る電話があった。大原美術館からである。火事現場の聞き合わせだった。もし現場を聞いてないとき、半鐘が鳴ってすぐ電話がかかってきたら、電話機をとる人より早く、隣へ火事場を聞きに走っていたのである。大原美術館からの電話だと分かっていたからだ。

 何時のほどにかこうした事もなくなり、半鐘はサイレンになり、今や鳴かずの櫓となっている。それでも決して、観光用の大道具で無い証拠は、隣の消防車が出動し、ホースが濡れた時は、火の見櫓の上から、幾本かのホースが下げられている。乾かすためのようだ。ただ取り込まれるまでには随分時間がかかっているようだが。

 消防機庫のほうにも、倉敷町並みとしての歴史がある。(左上)の写真は、1978年より明らかに以前の写真である。1978年の写真では、現在の状況(左下)と同じにになっているからである。(上)の写真で、考古館右手に並ぶ低い蔵風の建物が、消防機庫なのである。この一見蔵風の外観は、写真に写っている面のみで、ペンキで描かれた壁なのだ。

 当時倉敷は、又かというくらい映画のロケ地として使用されていた。昨今でも、テレビドラマやコマーシャルのロケ地であることには変わりないが、現在のような画像修正の簡単な時代ではない。消防機庫は映画の大道具よろしく、映画のロケのためペンキ塗りの、なまこ壁になったのである。それは1957年1月だった。市のサービス修景だったのか、映画会社の大道具代によるものだったのかは知らないが。
 
 現在の消防機庫が何時出来たか、すぐ隣のことでありながらはっきり分からない。1965年前後頃だっただろうか。その時に、外観上部を蔵作りにした鉄筋コンクリートになったのである。この時火の見櫓の位置も少し移動したのである。

 この消防機庫や火の見櫓の下が、かつては倉敷川に続く、用水排水路の掘割のあったところだと言っても、今では想像つかないだろう。消防機庫の脇にある公衆トイレに、「掘跡通り」の標柱がついてはいるのだが。


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