(57) 一寸気まぐれ?美意識?それとも目印?  

これらは考古館に展示されている 倉敷市広江・浜遺跡出土
  「上の模様はな〜んだ・・・」すぐ正解できたら、あなたの考古学マニア度は恐ろしい。ただし岡山県下で考古学の専門職や、専門家とされている人達は別。その人達が分からなかったら、こちらはモグリ。

 のっけから妙なことを書いたが、この模様、住宅の壁紙や床の見本だと見えなくも無いだろう。考古館に時々出入りされている人は、どこかで見たようなと思われているのでは。考古館入口近くの台上に並ぶ僅かばかりの頒売品、館解説や絵はがきと共に置かれた、『倉敷考古館研究集報』14号の表紙絵部分である。

 そこまでは分かっても、これが何に由来しているかは、瀬戸内周辺以外の人であったら、考古学専門家でもすぐに言い当てられる人は決して多くない筈である。古くには縄文土器と間違えられた事もある。

 とはいえ、瀬戸内周辺で考古学に興味を持つ人なら、古墳時代製塩用師楽式土器の模様であると、即座に答えて欲しい。たとえ地域限定品であっても、この土器が注目されてすでに半世紀以上経ているのだから。

 しかし本体は口縁部だけの土器片が残るだけ、それも全体的にはぼろぼろで火を受け粉になりそうなものが多い。現代風に言えば工業廃棄物である。こうした土器片は、特に人目を引く形も無ければ、美しくも無い。考古学者も、古代の製塩自体の研究には熱心でも、使われた容器の模様には、他の土器模様ほど興味は無いようである。

 だが上に示した写真から、工業廃棄物のような汚いイメージを感ずるだろうか。すぐに廃棄されるもろい消耗品の土器にこのような模様が付けられているのである。この種の土器は大量に必要であるため、なるたけ手間の掛からないように作くろうとするのは、現代人の感覚と同じであろう。

 作りは無駄の無い手馴れたものに見える。やや深いボール状の胴部などは粘土を伸ばして、手で形を整えたようだ。土器の口縁部だけは多少強くするために、粘土をやや厚めにして、内側を押さえ外側を叩き用の板で叩くことで、粘土を締めている。この叩いた跡が模様として残り、この口の部分だけが、こわれにくかったのである。

 土器表面を,板状のもので叩き締めるやり方は、弥生時代から知られているが、これは主には土器全体の形を整えるやり方で、こうした方法が古墳時代の土師器と呼ばれている土器にも引き継がれ、製塩土器つくりにも採用されてきたといえる。

 今回の文様集は、先にこの「よもやまばなし(49)」で取り上げた弥生時代の銅戈が出土したと同じ、倉敷市広江・浜遺跡出土の、大量の師楽式製塩土器片から選んだもの。この遺跡の主体は、古墳時代後期6〜7世紀の製塩遺跡なのである。

 上の写真中、横に重なりながら、平行に叩き目が模様になっているものは、古くからの土師器作りの伝統的な叩き板の痕跡。ところがまるで叩いた痕跡模様の違いを競うかのような、さまざまな模様が多くなるのは、同じような土器でも少し新しい時期の物のようである。

 大量の土器作りをしている者の、手馴れてきた気まぐれか、美意識からの製作競争か、それとも必要からの目印か・・・・・「あなたなら何と思いますか?」

 このようなことの正解は案外わかっていないのである。参考までに少し新しい奈良時代の事だが、遺跡のある児島地域からは、多くの塩が奈良の都に調(当時の税の一種)として納められ、その荷札(木簡)が出土しているが、札には調を納めた個人名が明記されている。

 家族の集団が集まった程度の人々で、皆の物として生産していたものでも、古墳時代の終わり頃には、そろそろ個人の取り分が、区別されだしたかも・・・製塩土器の模様も案外こうした僅かな個人主張の印かも・・・国が大きくなると、税金はこうした個人も見逃さない。


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