(68) 電柱と修景

倉敷物語館横の路地
 前回倉敷の伝統的建物群内の看板を話題にしたが、この一帯の建物群周辺で、電柱の地下埋設工事が進められている。この工事もこの地域の景観保護を主眼にしたもののようだ。倉敷川河畔での工事はかなり前に終わって、河畔では電柱は目に入らないが、河畔の逆の山手側を眺めると、電柱はすぐ見える。考古館横では、まだ工事が継続中である。

 先日三脚付きの大きなカメラを持った一人とその連れの一人が、考古館の入り口に入り込んで、館の内側から外の風景を狙っている。入館者も少ないので、黙ってしばらく眺めていたが、なかなか出て行く気配は無い。ちょっと顔をのぞけると、「取材ですので」と連れの一人が言う。何処の者とも、何の取材とも言わない。自分の顔に名刺でも付いていると思っているのか。昔からこうした人は結構多かったので、こちらも知らぬ振り・・・

 黙っていると少々バツが悪かったのか、「これで良くなりますね。」という。まったく何のことかこちらには分からない。「何がいいのですか。」と思わずいうと、「電線の地下埋が進んでいる・・・」そういえば考古館の横では、その時重機がガタガタ音をたてていた。

 全く! 「自己中」は若者の特権ではない。カメラマンの方は、まったく一言も言わず、その後もしばらく頑張っていた。どのような写真が取れたか、ちょっと拝見したいもの。

 ところで、かつてはこの一帯の電柱は木の電柱だったが、何時のほどにかコンクリートの電柱になっていた。左上の写真は、JR倉敷駅や、近くの駐車場から大原美術館方面に通ずる、最も人通りの多い道から、途中の脇道をちょっと眺めると見える風景である。

 写真中の右手の壁が、最近(2009年4月24日)開館した「倉敷物語館」である。ここはかつては旧家東大橋家の屋敷であった。この屋敷が倉敷市の管理となって、古い外観が保たれた事は、伝建地区としては喜ばしい事だった。その活用と言う事で、内部を改装修景し、観光客が自由に出入りできる庭と、倉敷に関した多少の展示に、貸し部屋が作られたのである。これが倉敷物語館である。改装までは、秋ともなれば大きな柿の実が塀の上に望まれたが、今は庭園となってあの大きな実の成った柿はない。きれいに改装された塀には、季節はなくなった。

 写真の真ん中、路地のような道の向こうには、電柱がそびえているが、この電柱も、以前に比べると随分とスマートになった。この電柱しばらくは地下埋設の計画はなく、この姿で路地の向こうに立っているらしい。手前には旅館の看板が見えるが、この旅館は、今は営業をやめている。倉敷も表の顔を一歩はいると、現在の顔が覗く。これが案外「昭和」の顔であったり・・・・

 考古館を一歩出て、倉敷川河畔から大原美術館方面を見る眺めも、倉敷を観光する人にとっては、よく目に入る景色の一つと思う。河畔の一帯は、倉敷を代表する風景であろうが、大原美術館のすぐ向こうには、目立たぬ色に塗られているとはいえ、コンクリートの四角い建物が、おおきく空を覆う。この建物が出来る時は、アドバルーンを出来る建物の高さまで上げて、建築の是非が問われた。高さは同じでも、アドバルーンが一つ空に上がったイメージと、今のビルとはどうしても重ならない。

 このあたりもコンクリートに囲まれてくると、いくら修景をしても、ますます作り物の気がしてくる。コクリートのビルの手前に、倉敷河畔ときれいに刈り込まれた柳、柳の間には六角灯篭風の大きな外灯、以前あったものをモデルにしたというが、はるかに大きいく数が多い。夜間のライトアップ用に作られたもので、電柱の無い空で、なんとも威張った外灯である。

 電柱の残る昭和の名残の路地が、案外倉敷の生きていた姿を留めているのではないのか。

 修景はどの時点をイメージするか、厳密に考えると随分と問題は多いが、人間など勝手なもの、刻々と時間がたっていく中で、古いもののイメージが世代によって変わっていき、古くなるほど時代が平面化する。映像のドラマでも小説でも、少々の時代考証など問題にしてないものが多いこと・・・・

 今に、瓦屋根の向こうの電柱が、懐かしいということになるのでは。木の電柱を立てようというのでは。


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