(71) 「億への夢」

 左上の写真、また正月早々妙なものを載せてと言われそうだが、表面に文字があるのが分かるだろうか。薄く傷のようにも見える刻線をたどると、左に人偏、その右上には鍋蓋・・いや立か、その下は日だろうか?その下には点四つ?これは心でも良い・・・どのように見ても「億」の字に一番近いようである。

 ・・・億 億 億・・・この字を見て何を連想・・・・真っ先に、年末のジャンボ宝くじ3億円を思い出した人は・・だ〜れだ・・・せめて初夢にでも億金が・・・まじめな貴方は「事業仕分け」や「国家予算」・・・とんでもない、いまや国の事業や予算など「億」などでは間に合わない、「兆」次は「京」・・・

 昨今では、だれしも「億」と聞くとまず金を思うのではなかろうか。人口でも距離でも、よく使用される単位ではあるのだが・・・「億」といえば云うまでもなく、漢字文化圏での数値の単位である。10の8乗、現代ではこれで統一されているようだが、少し前までは、国によって違いがあったようだ。

 ところで、この写真の本体は何物か? 粘土の素焼きで両端が少々尖った楕円体、長さ4cm、厚さ2cm,側面には溝がある。文字は焼成する前に、細いへら先のような
倉敷市広江・浜遺跡出土の土錘
(上)「億」字を彫り込んだ土錘 古代末
(下)古墳時代以後の各種土錘
道具で、彫られていた。

 魚釣りとか漁業に多少とも関心のある人なら、回りくどい説明をするまでもなく、実物を見ればこれが網の錘にする土製品・土錘であることは、一目で分かるであろう。それでもこのようなものに、文字を書き込んだのは何故だろう?

 左下の写真が、皆同類の網の土錘である。ただしこの様々な形の違いは、網の大小・用途その上時代による違いなど、様々な要素によるものである。この写真の資料は、こうした違いを全て集めたようなものである。写真上の、億字を彫ったものもいれて、これらの全ては倉敷市広江・浜遺跡の出土品である。

 広江・浜遺跡と言えばこの「よもやまばなし」にすでに幾度も登場している。(495760)話などで、それらは弥生時代の銅戈のかけらだったり、古墳時代の製塩土器の話であった。この浜の遺跡では、縄文時代から現代にいたるまで、人の営みは続いており、遺跡は重なっている。

 今回の網の錘は、この地の前面の海が、干拓された江戸後期までは、その名が示すように広い浜であったから、漁業のための様々な網や錘が使用され、浜に残されてきていたのである。この浜で採集された、時代も用途も違った網の錘をあつめたものが、下の写真である。

 問題の土錘は、欠損したものも含めると68個が一括出土した中の1個であった。形は全て同じ形態だが、長さは6〜3cmで多少大小がある。しかし一括で出土したので、一連の網に付いていたものが、放置されたのであろうか。

 この土錘が出土した場所は、かつての海岸の一角ではあるが、一番奥まった位置にあり、裏の山塊から低い台地状となって延びていた平地の、その先端近くである。出土した土層中には、中世以降の資料は発見されず、わずかに古墳時代のものは出土したが、土錘とともには、十一世紀頃の碗のかけらとか、緑釉皿片が出土した。土錘の時代は平安期も終わり近い頃のものらしい。

 その頃の人に数の観念として「億」があったのだろうか。明確な数値を示していたのだろうか・・・・このような日常の漁業に使用した網の錘に、焼成して仕上げる前に、わざわざこのような文字を刻んでいるのは、土錘作りの中に文字の書ける人がいたのか、それとも、周辺で文字の分かる人に頼み、このような文字入りにして、大漁祈願のまじないにしたのではないか、というのが実態では・・・もしそうだとすると、「億」は数値と認識されていたことになる。

 ただ浜の人にとっては、家族や小さい村の人々だけでいい、十分に行き渡る魚がこの網に入ればいい、それが「億」の字の数値なのではなかろうか。広江のある児島は古代以来塩の産地である。その頃、すでに鯛を塩釜で蒸す「浜焼き鯛」の加工はあったのだろうか。正月だけでもこの浜焼き鯛が村の仲間に行き渡るのが、「億」への夢だったのではなかろうか。

 現代の夢とどちらが豊かな夢なのだろう


トップページへ戻る  よもやまばなし目次へ戻る


〒710-0046 倉敷市中央1-3-13 Tel.(086)422-1542 公益財団法人 倉敷考古館