(79) 復刻増補『倉敷今昔写真帳』

1911年(明治最末)頃、倉敷川で料亭を開く牡蠣舟。
考古館の右前方あたりに停泊
 左の写真は明治最末年頃(1911年頃)のもの、ちょうど百年ばかり前ということになる。もちろん倉敷市内。倉敷の旧市内で育った人であったら、たとえ若い人であっても、この場所は説明を要しないくらい、すぐ見当が付くのではなかろうか。

 川があって、船が来ていて、バックの家々のたたずまいは、今もそのままだ!!

 大原美術館の入口から見ると前方右側の倉敷川沿いである。この写真の上方右側の塀続き欄外にあたる位置に、倉敷考古館の倉が建っているのである。

 屋形船のすぐ後ろにみえる大きな家は、今では旅館鶴形だが、ここは「よもやまばなし」(13)の「倉の倉今昔」でも触れているので、先の(13)をクリックしていただけると分かると思うが、かつての小山家の本宅なのである。今も考古館の倉だけは小山家のものである。そうしてここに示した写真も、小山家のアルバムにあったものなのである。

 この家並みは百年経っていても余り変わっていないようだが、川岸にはまだ段は無い。良く見ると写真左端の辺りが、今では黄緑色の釉薬瓦を葺く、大原美術館の別館有隣荘となっているが、ここではまだ民家である。

 小山家の一角、考古館の前近くに停泊した屋形船は、普通の荷を積む船ではない。この界隈のことを、良く知っていると思っている人も、この船が何であったかを知る人は、昭和も1桁以前の生まれの人に過ぎない筈だ。

 これは牡蠣料理舟で、舟そのものが料亭だったのである。小山家の写真も、同家が何かの記念の際に、一同で会食した時の写真らしい。現在90歳を越える人が、昭和16(1941)年に出征の際、この舟で送別会をしてもらったという。その後、太平洋戦争の激化でこの舟も終わりになった。

 考古館に関係深い位置にあった、古い牡蠣舟の写真なので、一寸詳しく書いてしまったが、実は今回の「よもやまばなし」は、先般復刻した『倉敷今昔写真帳』の宣伝なのである。この中に、上の写真も新しく加えた1枚である。

 この本についてはやはりこの「よもやまばなし」(28)と(29)で製作前後の経緯を話題にしているので、ちょっとクリックして見て頂けると幸いである。ともかく昭和53(1978)年にその当時から20年以上も古い写真と、当時の写真を対比して、倉敷の今昔を見た写真集だった。

 今時ではこうした手法の写真集は珍しくないが、その頃は戦後20年間で周辺が大きく様変わりしつつあったときであり、古い写真の多くが、写真家中村昭夫氏のものであったこと、対比する当時の写真も同氏の手になっていたこともあり、予想外の人気だったのである。

 それからすでに30余年が過ぎた。この写真集で扱った地域の多くが、写真集の出た翌年1979年、伝統的建物群に選定された。こうした中で、写真制作の中心人物でもあった中村氏は、その後も伝統的建物群保存に、精力を傾けられたが、2008年には逝去された。

 この地域を愛し、死の直前まで写真に収められていた中村昭夫氏への追悼もこめ、30年前に今昔写真集が出来て以後、その変化はどのようなものか、伝統的建物群はどうなっているか、古い『倉敷今昔写真帳』と、皆さんの目で比べて見ていただきたいとの思いと、古い倉敷の姿を、今一度残したいというのが、今回の復刻である。

 しかも今回のものには、中村氏よりも古くから、倉敷の写真を多く撮られていた、地元の内田錬太郎氏からの、貴重な写真の提供があり、また江戸時代は倉敷の庄屋を勤めた旧家小野家や、考古館の大家でもある小山家からの写真提供もあって、より古い倉敷の姿を加えることが出来たのである。

 今回も、前回同様、編集や内容記述は倉敷考古館の者で当った。そこでこの欄で販売を一寸宣伝している次第である。自費出版で考古館での仕事ではないのだが、倉敷や考古館周辺の宣伝になることなので、実費頒布を考古館で取り扱っているので、ふるってご利用いただきたいのである。

 宜しくお願い申します

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宛先; 倉敷考古館 〒710―0046 倉敷市中央1−3−13
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