(97) タジン鍋の蓋

現代使用の タジン鍋
左 岡山市津島遺跡 ・ 右 同百間川原尾島遺跡 弥生時代前期の蓋と甕の部分
  岡山県教委報告より
倉敷市新屋敷遺跡
古墳時代始まり頃の蓋
考古館展示

 上に並べた写真の、左端がタジン鍋であり、今回はそのトンガリ帽子のような蓋が話題なのである。実はこれは、今寒い季節、鍋料理が食卓を賑わす時期だから、話題としては丁度いいだろうと思い、旧年中、関係する写真や図を用意していた。

 ところが地元新聞(山陽新聞1月4日)に文化・旅特集で2ページにも亘って、「三角形の小宇宙」としてこのタジン鍋が、大々的に取り上げられたのである。タイミングとして今これを話題とするのは、ちょっとひけるものだったが、全く違うことなので、予定通りに、この奇妙な形の蓋に登場願うことにした。

 本題は中央の図で示した土器である。今から二千数百年は前の、弥生時代前期の土器なのである。実は考古館には、この種土器の良い資料が無いので、岡山市内の遺跡資料図から拝借した。

 報告書の図であるため、この形だけからでは、蓋やら、逆にして容器になるのか分からないとも思われるだろう。だがその作り方などから、この種のものは、昔から土器の蓋と考えられてきた。蓋であることは間違いないだろう。参考に、普通の蓋も右に示した。これは考古館で展示しているが、少し新しく、古墳時代が始まろうかという頃のもの。

 1958年と1961年に出版された小林行雄・杉原荘介編『弥生式土器集成』TとUは、当時は各地の弥生土器を知る教科書的な資料集だった。しかしこの資料集が出版されて後の頃から、わが国ではいわゆる高度成長期、そのため大変な勢いで破壊の進んだ、全国各地の遺跡から、弥生時代の土器などは、全体の検索など出来ないばかりの出土量である。その資料報告の出版もあふれている。しかしその中でも、この種の蓋は、けっして多いとはいえないだろう。

 今では、先の文献などは、考古学者を名乗っている人でも、開くことはおろか、全く知らない人もいるのではとも思うが、その昔、その『弥生式土器集成』の図を繰りながら、主には弥生前期に伴い、傘形の蓋と呼ばれている蓋が気になっていた。丁度上図の中央に示したような形のものである。これは一体何のための、トンガリ蓋なのか?

 傘形でも背のあまり高くないものは、普通の蓋形品でもいいが、一方には水平に近い蓋もある。特に三角形の上部が細長く上に伸びている蓋が、かなり多い。何故この形なのだろうか、遺跡全体の土器・壷や甕や高坏などに比べれば、量は大変少ないのだが、弥生時代の始まり頃だけに見られる三角帽子状の蓋は、ずっと気にかかっていた。

 先年テレビの料理番組で、タジン鍋を目にした時、「あ々、あれだったか」・・・弥生のとんがり蓋をすぐ思った。タジン鍋の蓋と同じ形である。用途も似たものに違いないと思ったのである。

 そこでこの見慣れない鍋を気にしてみると、最近のヘルシー志向で、すでにかなりの普及だと知った。横着なことで申し訳ないが、インターネット検索で、最初にあげた写真もそこから拝借した。デパートなどでは、各種のこの鍋が、多く販売されている。

 ところでこのタジン鍋は、なんでも北アフリカで砂漠に接したあたりに生活する人々の、生活の知恵から生まれたとのこと。水の貴重な生活の中で、野菜の水分を逃がさず、それを利用して、野菜と肉類の蒸し煮を作る大変合理的な鍋のようだ。タジンはアラビア語で、土鍋のことだとか・・・・これもWikipedia知識なので悪しからず・・・

 平たい皿状の鍋に多くの野菜を入れ、共に香辛料などで味付けした肉類も入れ、大きな三角の蓋をピッタリ被せ、じっくり長時間煮込む調理法である。三角蓋の上部は熱が届かず冷たいことで、煮て水蒸気となった野菜の汁は再び液化して鍋に戻り、味も栄養も逃がすことも無い、ということである。

 ところでわが国の、二千数百年も前の、三角蓋の方、タジン鍋のような、下の鍋となる平たい土器は、どこを見ても出土していない。確実にこの蓋とセットになる形では下の容器はわかっていないが、古くから蒸し器(甑)だろうと言われた、普通の甕底に、わざわざ後から、径1cmばかりの穴を開けた土器と、組み合う可能性がある。

 穴を開けた土器内に蒸すものを入れ、水を入れた別の甕の上にはめ込んで、問題の三角形の土器蓋をすれば、蒸し物には、熱効率も良いし、下甕内の水も減り方は少ないだろう。

 ところが実際に似た甕形土器の方を作って、同様な穴1個で、米など蒸してみた。しかしこの土器ではいくら炊いても、全体が蒸せなかったり、長時間かけ、水を幾度も補給して、やっと蒸し上がるというような、不経済な状況であった。ただその実験の時、蓋は木でしていたので、三角蓋の効力はわからない。

 今でも、もち米など蒸す場合、上から打ち水をすることも、上手に蒸しあげる方法ではあるが、もし三角蓋が、その役を担うとしても、下が甕形の鍋で、内容量も多く、強く焚く事でもあり、下からの水蒸気の補給も十分に出来る場合、あまり三角蓋は、効力を発揮できないのではなかろうか。

 わが国には米作りと共に、米を蒸して食料にする調理法も、もたらされていたと思うが、わが国では、煮るほうが合理的だったのであろう。トンガリ帽子の蓋も、あまり効果を発揮できずに、姿を消していったのであろうか。

 弥生時代のトンガリ蓋も、現代のタジン鍋も、どのようなルートでわが国に入ったのか、不明にして私は知らない。ともかく今流行している三角帽子のこの鍋、どれだけわが国の現代の食生活の道具となるか、しばらくは注目したい。・・・・自分ではまだ持ち合わせないのだが・・・


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