(98) 倉敷河畔・柳と車の今昔

古館前の倉敷川に張った氷の上をあるく小鳥
 2011年1月27日の朝、この日も寒い朝であった。ここ幾年間も暖冬が続いていたためか、それとも街中での温暖化なのか、かなり以前から、考古館前の倉敷川に氷の張ることもほとんどなかった。しかしこのところの寒さ続きで、昨年暮れから今年にかけて、幾度か川に氷が張っていた。

 27日の朝にも、川には薄氷が張り、右上のように氷の上を小鳥(鶺鴒?)が歩いていた・・・・といえば静かな冬の朝を思わすが、丁度午前8時頃、少々けたたましいチェンソーの音が辺りに響いていたのである。

(上)1955年頃、考古館の向かいの道を走る、定期バスと川岸の柳の幼木
(中)2011年1月切り倒されて横たわる柳の老木(中央の路上)
(下)同日同時に川岸に停まるジャガーXK
 考古館から言えば川向こうの、最も太い柳の木が切り倒されたのである。完全に枯れていたわけではなかったが、幹は大きな空洞となり、ほぼ寿命が尽きていた木であったと思う。近くには以前から、かなり大きな柳がすでに次代の顔で、植樹されていた。

 ところで左上の写真は、今から半世紀以上も前の1955年頃の写真である。考古館が開館して数年程度の頃であろうか。まだその頃は考古館の川向こうの道を、定期バスが通っていたのである。倉敷駅から藤戸(源平合戦の中で「藤戸の渡し」として知られた場所)の方へ行くバスだったと思う。懐かしいボンネットバスである。

 そのバスの横に、細い木が並んでいる。川岸の下段に植えられて間の無い、柳である。考古館前の中橋から上手の、倉敷川両岸に、下段が設けられ川幅が狭くなったのは、昭和9(1934)年であった。これは倉敷川も、中橋より上手まで、船が入る必要がなくなってきた、物資輸送手段が次第に変わってきたことの、ささやかな変化でもあろう。

 この川岸の段に最初に植えられたのは、桜だったようだ。それから戦争の時代を経た20年ばかりも後、樹木も失われていた段に、柳の幼木が植えられたのである。

 27日の早朝に切られた柳は、その細い柳の木の一本だった可能性が強い。60年近い歳月の間、次々に柳は枯れ、植え替えられたものも多かったが、初代の生き残りだったようにも思う。

 左中の写真は、倒された木と、それを処理する車や人である。写真では倒された幹でその大きさも分かり辛いが、径は50cmはあっただろう。

 たまたまこの朝、この柳の横ではないが、柳から見れば丁度川向の辺りに、この木が倒されていた時、停められていたのが、下の写真のスポーツカー的な車である。車には全く疎いが、車体にはジャガーとXKが記されていた。新車か、中古の車かも分からないが、ともかく著名な外車のよう。ここは一般的には車の進入禁止区域であるが、観光客の少ない朝晩には、かなり車が入っている。この車は、倉敷の観光地を背景にするために停められたようで、盛んに大形カメラで撮影されていた。

 最初にあげた古い写真を頭に描き、柳の半世紀の今昔を見た時、これも偶然に古い写真では、柳の横にボンネットバス。その柳が倒された現在、横には現代の街中では見かけない外車・・・・・周辺の家々は60年近い歳月でも、大きな違いが見られないのが、この倉敷の売りなのだが、その同じキャンバス内の、柳の姿とその周辺の車、まさに今昔の時をそこに塗りこめていた・・・・つい半世紀の歳月を思い、通勤途上シャッターを切った・・・・・倉敷河畔で、誰も意図しない意識もしない、今昔の交差・・・

 その後くだんの車は、チェンソーの騒音が鳴り止んだ頃、爆発音のようなエンジン音を幾度か響かせていたが、共に8時半頃には、全ての姿は無く、平日の静寂にかえったのである。河畔には何事も無かったように、冬の朝日がひろがってきていた。川の氷はまだとけていなかった。


トップページへ戻る  よもやまばなし目次へ戻る


〒710-0046 倉敷市中央1-3-13 Tel.(086)422-1542 公益財団法人 倉敷考古館