1949年岩宿遺跡の発見が契機で、わが国の各地で旧石器遺跡の発見検討が行われたが、西日本では、鷲羽山遺跡が遺跡発見の端緒となった。その調査研究では当館が中心となっていた。多くの地元研究者提供の採集資料も加え、この遺跡の基本資料を展示する。
関連の解説: よもやまばなし (139)
「国府形ナイフ」と呼ばれるサヌカイト製で西日本特有の石器名がついた基本の石器とその製作過程を示した石器類を展示。1957年からの国府調査には当館も参加、それまで縄文遺跡として知られていた当遺跡に、旧石器時代が存在したことを明らかにした。それは近畿地方で旧石器時代の存在をはじめて、明らかにしたことでもあり、基準標式となる石器を明示した。
関連の解説: よもやまばなし (140)
岡山県下では古くから著名な縄文貝塚。縄文前期~後期にわたるが中期が主。温室造成などで破壊が進むため、1969年当考古館で調査。多数の人骨も出土。研究成果は『倉敷考古館研究集報7号』(1971年)に特集、 現在中部瀬戸内地域の縄文研究の基準となっている資料である。中の幾つかの復原された土器はレプリカも作られ、他の博物館でも展示されている。
関連の解説: よもやまばなし (48)
古代「吉備」地方と呼ばれた岡山県と広島県東半部では、弥生時代の末頃から、大形で飾られた器台と壷が特別に製作され、墳墓に供献される。埴輪の起源ともされ、墳墓は大形墳丘を築くものが出現。古墳時代開始期の吉備地方の特性として注目を集めている。こうした研究の牽引の一つとなったのが、考古館調査の次の幾つかの遺跡である。
弥生時代末期の墳墓に供えられた、日常容器でない飾られた大形の器台と壷。1959年、当館によるこの遺跡の発見は、古代吉備の特性研究の先駆をなすものであった。1966年改めて発掘調査を行い、成果を『考古館研究集報3号』(1967年)に報告し注目を集めた。展示品はレプリカが作られ、他の博物館でも展示されている。
関連の解説: よもやまばなし (183)、よもやまばなし (69)
1970年宅地造成で発見された遺跡。周辺には古くより著名な古墳・古代寺院址・楯築神社などがある。尾根上の多数の土壙墓には、弥生末~古墳初期の多くの土器類が供えられていたが、中でもそれまでは全く知られていなかった、現在でもほとんど類の無い器台形の上に家形を取り付けた土器が、破砕して供えられていた。当時の精神生活を示す、極めて重要な資料である。(『倉敷考古館研究集報10号』)
関連の解説: よもやまばなし (126)、よもやまばなし (65)
古くより前方後円墳として記載され知られていた古墳の墳丘上から、弥生末期の土器片が出土することから、性格を明らかにするため1977年当館で調査。墳形は全長60m・高4~5mの前方後方形。後方部頂一角で弥生末期の土器80点以上が出土。その下から竪穴石室出土。石室の蓋は木製だったと推定される。石室内からは硬玉製勾玉1と小管玉1のみ。墳丘裾から大形筒状の特殊器台が出土。くびれ部にも特殊壷などを含む多数の土器あり。古墳出現を考える重要な遺跡と遺物。(『倉敷考古館研究集報13号』)
関連の解説: よもやまばなし (12)
1955年の8月は倉敷市を貫流する高梁川が大渇水で、通常の流路水面下部分に大量の土器が露呈。地元中学生の通報で、採集調査。200個体を超えると思われる土器群の堆積であり、当時は不明であった、弥生末から古墳時代初期の時期を示す良好な資料として注目され、酒津式土器として標式とされた。壷形品の中には頚部に、古墳時代の呪術的模様として知られる、直弧文の初源ともいえる文様帯がある。
関連の解説: よもやまばなし (6)
全長165m、岡山県下で四位の規模の大前方後円墳。5世紀最初頭期。明治初年頃よりの盗掘が伝えられるが、1953年当館において調査。1959年同名の報告書を刊行。
主体竪穴式石室に付設されていた副石室は盗掘を免れており、四個の埴輪質合子(ごうす=蓋物)が出土。中から用途別に分類された各種の鉄器が発見され、古墳時代の生産用具研究に大きく寄与した。また墳頂部を飾る方形の形象埴輪列も、当時の葬送儀礼の形態や意図を示すものとして、注目を集めるものである。
関連の解説: よもやまばなし (31)、よもやまばなし (32)、よもやまばなし (33)
倉敷第三福田小学校敷地一帯に広がった、古墳時代製塩遺跡が主体だが、かつての海岸遺跡で縄文後期から奈良・平安期に至るまでの遺跡が含まれる。校舎増築工事などにより、1966年と1978年に調査。瀬戸内中心部に広く分布する古墳時代製塩遺跡の実態を明らかにすると共に、製塩土器の性格別分類等を明らかにした。(『倉敷考古館研究集報14号』)
関連の解説: よもやまばなし (60)
平安期創建の安養寺裏山には、三基の経塚がある。ここに示す経塚は1958年、二基目の経塚調査中に発見。全国的に見ても二十余例に過ぎない珍しい瓦経塚が、考古学者の手で発見され調査された唯一の事例である。
焼成温度が低かったため、土中で粘土に還元したことで、一般人士による偶然の発見、乱掘を免れていたが、そのため、一方で類の無い困難な調査ともなった。しかし瓦経塚の全容を明らかにし得た、極めて貴重な遺跡であった。粘土と化したため、保存状況は良くないが、応徳3(1086)年銘の願文をはじめ、法華経・仁王経など十種以上の経典、仏画を描いたらしい円形瓦、宝塔形土塔、塔婆形品など、数多い資料である。
鎌倉期以降現代まで続く無釉陶で、岡山県の代表的な焼き物である備前焼の歴史を明らかにするため、1960年頃より数年を掛けて古窯址各地を踏査、科学的に備前焼の成立期その後の変遷を示す編年を始めて明らかにし、『倉敷考古館研究集報1号』(1966年)で公にした。その後も続いて備前焼の研究を同誌に報じ、現在も備前焼研究の基本となっている。断片資料ではあるが、それら基本資料を展示している。他には各地で骨蔵器に転用さていた、鎌倉~室町期の壷類も展示している。
関連の解説: よもやまばなし (7)、よもやまばなし (99)
倉敷考古館開館時に、古く南米ペルーの土器を蒐集されていた貿易商の方から、考古館への陳列品として寄託された約80点の資料を中心としている。写実的な人物・動物・植物を象ったデザインも多く、特徴的な鐙形の把手で小さい口の壷など、南米の風土や習慣を物語る面白く楽しい土器も多い。その後にチャンカイ期の土器・布類も加わっている。
関連の解説: よもやまばなし (78)、よもやまばなし (81)
倉敷市羽島貝塚
関連の解説: よもやまばなし (144)
磯の森貝塚・船元貝塚
関連の解説: よもやまばなし (1)、よもやまばなし (43)、よもやまばなし (44)
福田貝塚
関連の解説: よもやまばなし (5)
中津貝塚
関連の解説: よもやまばなし (25)、よもやまばなし (26)
島地貝塚・涼松貝塚
関連の解説: よもやまばなし (40)、よもやまばなし (93)
岡山市彦崎貝塚、総社市ケンギョウ田遺跡、笠岡市津雲貝塚
関連の解説: よもやまばなし (26)
倉敷市上東遺跡
関連の解説: よもやまばなし (123)、よもやまばなし (124)
児島上之町遺跡・仁伍遺跡
関連の解説: よもやまばなし (59)
由加山(銅剣1)・種松山(銅鐸1)
関連の解説: よもやまばなし (103)
岡山市津島遺跡
関連の解説: よもやまばなし (149)
高尾遺跡・南方遺跡
関連の解説: よもやまばなし (152)、よもやまばなし (174)
岡山県矢掛町白江遺跡
関連の解説: よもやまばなし (73)
(推定)福岡県那珂川町安徳(銅矛2)
倉敷市王墓山古墳群(各種遺物)
関連の解説: よもやまばなし (11)、よもやまばなし (180)
金浜古墳〔各種遺物〕
関連の解説: よもやまばなし (157)
総社市福砂古墳(各種遺物)
岡山市佐古山古墳(銅鏃)、備前市丸山古墳(車輪石ほか)
関連の解説: よもやまばなし (112)、よもやまばなし (113)
〈埴輪〉総社市作山古墳(円筒)・持坂古墳(家形・円筒)、岡山市陣場山(円筒棺)
〈大壷〉玉野市長尾(土師)、新見市唐松(土師)、総社市宿(須恵)
〈装飾須恵器〉総社市法蓮(小像付)
関連の解説: よもやまばなし (37)、よもやまばなし (46)
赤磐市可真(子持)
〈祭祀遺物〉笠岡市走出遺跡、岡山市高島遺跡
(陶棺〉総社市宿ササラ谷古墳(須恵質大小2)
関連の解説: よもやまばなし (21)
参考〈馬形帯鈎〉(推定)朝鮮半島出土
(陶棺形火葬骨蔵器〉備前市惣田奥4号(須恵質)
関連の解説: よもやまばなし (77)
倉敷市広江(須恵質)
関連の解説: よもやまばなし (52)
岡山県美咲町 唐臼(土師質)
関連の解説: よもやまばなし (51)
〈火葬骨蔵器〉倉敷市真備町妹(須恵質2)
関連の解説: よもやまばなし (110)
〈石帯〉倉敷市酒津山
関連の解説: よもやまばなし (94)
〈寺院瓦〉倉敷市日畑廃寺・二子窯址・矢部遺跡、笠岡市関戸廃寺、赤磐市備前国分寺址
〈経筒〉瀬戸内市邑久町大土井(承徳2〔1098〕年銘)
関連の解説: よもやまばなし (64)
この「よもやま話は」、2007年から2015年まで、間壁忠彦と、間壁葭子によって当時のHPに掲載されていたものです。文字のあやまりや内容はそのまま転載していますのでご承知おき下さい。また館内の写真は展示替えのため相違があります。