古墳時代
3世紀の後半から7世紀にかけての時代で、北海道・東北北部と沖縄を除く日本各地で前方後円墳をはじめとする古墳が盛んにつくられました。
吉備では、すでに古墳時代最初期に大型の古墳がつくられ、5世紀になると、造山古墳や作山古墳など、畿内の大王の古墳と並ぶような巨大な前方後円墳が築かれるようになります。こうしたことから、この時期の吉備の勢力は、ヤマトの勢力と強調して発展し、肩を並べるような大きな力をもっていたと考えられています。
しかし、6世紀以降には、吉備地方の古墳の規模は小さくなり、次第にヤマトの勢力に組み入れられていったようすがうかがわれます。
金蔵山古墳
岡山市中区沢田
古墳時代
旭川東岸平野の南に連なる操山の、中ほど山上にある165メートルの前方後円墳。南には、旧児島湾であった上道新田を見おろす。1958年の館の調査で、後円部に2基の竪穴式石室と、それをめぐる器財形を含む方形の埴輪列を明らかにした。竪穴石室は既掘されていたが、一基の石室の端に未発掘小石室(副石室)があり、埴輪質の蓋物(盒)の中に多種多量の鉄器が収めてあった(報告書『金蔵山古墳』)。
法蓮古墳群
総社市下林法蓮
古墳時代
備中国分尼寺跡の北に続く丘陵上の40基ばかりの古墳群には、後期の横穴式石室墳もある。館展示法蓮出土の装飾付須恵器出土墳の有力な候補。
随庵古墳
総社市西阿曽
古墳時代
総社平野の北東部から鬼ノ城へ登る谷の東側尾根上、中期後半40メートルの前方後円墳。未盗掘の竪穴式石室と粘土床があり、武器・武具、農・工・漁具・鍛冶具など鉄器が多数出土。現在消滅。
造山古墳
岡山市北区新庄下
古墳時代
総社平野の南東部、350メートルの巨大前方後円墳。県内第1位、大阪の大王陵を入れても全国第4位の規模。奈良県のどの古墳よりも大きい。国指定史跡。前方部上にある刳り抜き家形石棺は九州阿蘇凝灰岩製。出土地点は上明だか、造山かその周辺の古墳出土に違いない。
金浜古墳
倉敷市塩生、金浜
古墳時代
水島工業基地造成前の塩生海岸北部で、西面した丘陵上にあった古式の横穴式石室墳(『研究集報14号』)。
神宮寺山古墳
岡山市北区北方中井町1丁目
古墳時代
岡山平野の平地に築かれた150メートルの前方後円墳。後円部社殿下に竪穴式石室があり、付属の副石室から鉄器が乱掘で出土。破損をまぬかれた農・工具などは館で整理保管。
宿ささら谷古墳
総社市宿ささら谷
古墳時代
こうもり塚南の宿から、南やや東に山道をのぼった東側、仕手倉山から西へ延びた尾根上の小形横穴式石室、大・小の須恵質陶棺が出土。最終末期の古墳。陶棺は谷を降った宿・末の奥須恵器窯跡群の製品と推定。
作山古墳
総社市三須
古墳時代
岡山県第2位、近畿地方の大王陵に匹敵する墳丘の巨大前方後円墳、286メートル。国指定史跡。
王墓山古墳群
倉敷市矢部―日畑―西尾
古墳時代
楯築・女男岩がある丘陵に群在する、主に横穴式石室を持つ約60基の古墳群(『研究集報10号』)。うち15基ばかりは団地造成で調査後、埋没・移築・消滅した。
六口島牛が首遺跡
倉敷市六口島
古墳時代
鷲羽山西方の島。島の西北海浜は古墳時代製塩遺跡。
千足古墳
岡山市北区新庄下
古墳時代
造山古墳南方、陪塚の一つとして国指定。75メートルの前方後円墳。後円部に古式横穴式石室、内部に九州産砂岩の直弧文石障。近来の調査で石室に接して別の横穴式石室の存在を確認。
王墓山古墳
倉敷市庄新町
古墳時代
王墓山古墳群中の東寄り丘上の古墳。墳丘は変形しているが、25メートルばかりの円墳か。大形の横穴式石室中から明治末年に鏡、大量の須恵器、玉、甲冑、馬具、刀剣などの武器、工具、藺草編み物片等を掘り出す、東京国立博物館蔵。石室の上部の石材は掘り出し転用されたが、下部は元位置に埋まっている。内部にあった浪形の貝殻石灰岩製組合せ家形石棺は、墳丘の南に安置(『研究集報10号』)。
勝負砂古墳
倉敷市真備町下二万
古墳時代
二万大塚の東丘陵上の墳丘が変形した中期後半の前方後円墳。墳丘深くに竪穴式石室、岡山大学調査。石室から未掘のままの状況で鍛冶具など多くの副葬品発見。
二万大塚古墳
倉敷市真備町下二万南
古墳時代
小田川から南、二万の谷へ入るとすぐの平地東寄りにある小丘が、35メートルの後期前方後円墳。後円部に全長9メートルの持ち送りある横穴式石室、岡山大学調査。
天狗山古墳
倉敷市真備町川辺南山
古墳時代
真備町の東南端、高梁川西岸丘陵上、中期後半の前方後円墳45メートル、盾形周庭帯がめぐる。江戸時代に埴輪列と埴輪が記録されていることで有名。昭和初めに竪穴式石室が掘られ、出土品は東京国立博物館蔵。冑の付属具で腕を防ぐ篭手や、矢を入れる靱の金銅製金具などが注目される。平成になって岡山大学が調査。
寒田古窯跡群
倉敷市玉島陶
古墳時代~奈良時代
JR新倉敷駅付近の北、真備町服部の南に位置する小盆地陶は古墳~平安時代の須恵器窯跡群の所在地。その一角では東南部に寒田古窯跡群がある。古墳時代末の須恵器窯跡二個所は調査、他に保存状況の良い古代瓦窯跡もある。
こうもり塚古墳
総社市上林
古墳時代
国分寺跡の東200メートル、低丘陵上の前方後円墳、100メートル。後円部にある全長19.4メートルの横穴式石室は県内最大。内部の大形刳り抜き家形石棺は、井原市浪形産出の貝殻石灰岩製。国指定史跡。
中山茶臼山古墳
岡山市北区吉備津~尾上
古墳時代
吉備津神社の南裏山の前方後円墳130メートル。宮内庁が大吉備津彦命の陵墓とする。古い形式の墳輪片を採集。
塩生遺跡
倉敷市塩生
古墳時代~中世
塩生の海浜砂嘴上は、古墳時代製塩遺跡であり、中世の製塩関係の半球形粘土ばり土坑や炉址も発見。弥生前期土器も出土。同じ砂浜の北端部付近には縄文遺跡が知られる。
熊坂古窯址群
倉敷市林、熊坂
古墳時代
七世紀の須恵器窯址群。灰原からの採集の須恵器片を保管。このあたりから西の福江にかけての丘陵にも同種窯址がある。
都月坂1号墳
岡山市北区津島本町―津高
古墳時代
岡山市街地北の半田山西端近い尾根上、33メートルの前方後方墳。岡山大学が調査、後方部に竪穴式石室。都月型とよばれる特殊器台系譜の初期埴輪が知られた。
唐人塚古墳
岡山市中区賞田
古墳時代
旭川東岸平野にある備前国府推定地北の、山麓にある終末期古墳。墳丘は変形しているが25メートルほどの円墳とされ、切石的な石材による大形横穴式石室内に、兵庫県東部産の竜山石製刳り抜き家形石棺の身が残る。
備前車塚古墳
岡山市中区四御神・湯迫
古墳時代
岡山市街地中心部の東北にある竜の口山から、南東にのびた尾根上にある48メートルの前方後方墳。後方部の大形竪穴式石室から乱掘で、三角縁神獣鏡など十三面が出土。
網浜茶臼山古墳
岡山市中区赤坂南新町
古墳時代
旭川東岸、操山丘陵南西部。近世からの墓地と重なる前方後円墳(90メートル)、特殊器台形埴輪片採集。
湊茶臼山古墳
岡山市中区湊
古墳時代
県道岡山―西大寺線の東山峠を東へ降りかけたあたりの、南側山上の前方後円墳(130メートル)。後円部上には木棺直葬の主体、埴輪がある。南眼下に広がる江戸時代干拓の上道新田は、古墳時代には児島湾の海面、吉備の平野から瀬戸内海への出入口であった。
箭田大塚古墳
倉敷市真備町箭田矢砂
古墳時代
小田川北側の箭田集落を南にみる丘陵末端上の、径50メートル近い大形円墳。整った巨石による全長19メートルの巨大横穴式石室を持つ(国指定史跡)。明治時代後期に掘り出された副葬遺物は、東京国立博物館と地元吉備寺に保管。