背を向けた花婿花嫁さんの横に、石橋の欄干が見える。お二人は倉敷考古館のすぐ前に架かる中橋の上にたっているのだ。ということは二人の背後には考古館の倉があるということ。倉敷考古館を背景にして、結婚の記念写真撮影中。この写真は考古館の中から橋のほうへ向いて一寸と失礼して写したものである。つい先月、9月初めの頃のこと。
最近このあたりは、こうしたカップルの記念撮影のメッカになっている。式のついでの撮影ではなく、特別に結婚衣装を着付けて、記念撮影だけという組がほとんどのように見受けられる。 背景の倉の内容にはまったく関心はなくとも、この倉のある風景を、人生での最も晴れやかな記念の背景に選んでいただいた方たちに、倉の中の私たちも心から祝福を送りたい。ご多幸の未来を祈っている。
ただ今年(2007年)は9月になっても連日33-35度を超すような猛暑、9月に入ってからはこうした撮影が増えるが、猛暑の中の結婚衣装での撮影、相当の難行苦行、熱中症にでもなってはと思うのは、いらざる本当の「老婆」心か。
成人式の日時は、地域によってかなり様変わりしてきたが、当地では普通に最も寒い1月の中ごろ、厳しい寒風、霙交じりの雪花の散ることが多い。そうした中でも考古館周辺には、花盛りといわぬばかりの振袖姿が集まり、写真撮影である。寒さなどは意に介していない。人生節目の時、だれもが少々の肉体的苦痛のみでなく、経済的な大きな負担も苦痛とも思わないようだ。
ところで縄文時代も終わり頃、このあたりの遺跡出土の成人人骨には、抜歯の痕がある。もちろん生前に健康な歯を抜いたもので、それは顎骨の痕跡から明瞭に分かるものである。考古館でも人骨は展示してないが、抜歯のある人骨が身に着けていた耳飾や、腕輪類は、展示している。
その頃の抜歯の主目的は成人の標のようで、人生重要な節目の記念ともいえる。男女での差はない。この点まったく男女同権である。抜く歯の数には差があるので、その後も個々に、人生での何か大きな節目のときに加えられたと、考えられている。結婚もその節目の一つかもしれない。抜歯など歯医者で仕方なく抜かねばならない時でさえ、身震いする人が多いのが、現代人ではなかろうか。
こうした話をすると、縄文時代人でなくてよかったと思う人が多いであろうが、もし皆さんがこの現代社会の中で、自分の節目の行事をよかったと思われるなら、縄文人も、苦痛の後に、社会の中で自分の地位確立を実感したのではなかろうか。
ただ抜歯などという習慣は、自然の摂理に適う行為とは思えず、わが国では、大きく時代の変わる弥生時代前半のうちに消えてゆく習慣だったのである。
倉敷考古館日記だより
2007(平成19)年9月19日 水 晴
・・もう彼岸だというのに、連日真夏の猛暑。外は35度もあるのでは。今日もまた中橋の上で、こちらに背を向けた結婚写真撮影中。この暑いのに、レフを持った人までいる。