(39) 再び鉢巻のおじさん - よもやまばなし

(39) 再び鉢巻のおじさん
2008/9/1

 古墳時代須恵器の小さい人物像が、たまたま鉢巻をしていたことから、気安く「鉢巻のおじさん」と、呼び慣わして来たのだが、人間は一体鉢巻など何故・何時からするようになったのだろうか。髪がばらついたり、汗が顔に流れる時、それを留める鉢巻は、自然的発生的なものとも考えられる。とは云っても、それでは人間社会に普遍的な「道具」なのであろうか。

瀬戸内市磯上出土 台付装飾壷の肩に廻る小像群展開スケッチ 左端馬上像高約6cm 東京国立博物館蔵

上;埴輪力士 井辺八幡山古墳 高113.5cm

下;須恵小像 二塚 高約5cm

 この夏の甲子園でも、五輪の競技でも、熱狂的な応援団姿には、真白や日の丸付きの鉢巻が、トレードマークのようである。原油の値上がりが直撃した生業、漁業・農業・運輸関係者の切実な訴えの集会では、全員鉢巻が団結の象徴でもあろう。個人でも受験勉強の鉢巻、頭痛鉢巻の熟語もある。だが海外の人たちは、同じ様な時、鉢巻をしているのだろうか。先の北京五輪の際、中国人が時に赤鉢巻をしている映像は見たが、これが普通の習俗なのかどうかは、知らない。

 ともかく現代の日本では、何かを頑張るという精神的な引き締めのときに、鉢巻をすることが一般的になっているようで、日本の中では定着した習俗であろう。

 『国史大辞典 第11巻』(吉川弘文館)を一寸拝借すると、古代の衣服令武官朝服条に衛士(宮城を守る兵士)は「集会の日には挂甲を着て、頭布に朱の末額(まっこう・鉢巻のこと)をつける」と定められている。以来鎌倉・室町期を通じ、武人に関わる鉢巻は文献上にも現れ、実用から儀礼用などへと変化をたどるようだ。色も白が基本のようである。江戸時代には職人の作業用として流布したが、粋な向こう鉢巻・捩じり鉢巻姿や、踊りや歌舞伎の中での鉢巻は、文化性を持って使用されている。

 鎌倉時代も終わりか、南北朝頃の成立とされる『源平盛衰記』には、那須与一が、「薄紅梅の鉢巻を締め・・・」とあり、この本の成立期ごろには、鉢巻はすでにファション性を思わすものでもある。

 しかし以上で見る限りでは、せいぜい奈良時代に届くかどうかの話である。となると後は考古学の遺物しか出番がない。問題の装飾須恵器の鉢巻おじさんは、古墳時代後期、六世紀も後半のもの、これより古い鉢巻さんはいるのか・・・・

 古墳時代と言えば人物埴輪がある。実はこの中にも鉢巻姿がいる。ところが人物埴輪は前々から言ってきたことだが、象形埴輪の中では最も新しく現れるもので、装飾須恵器と同時的なものも多のである。

 鉢巻で有名な人物埴輪は、和歌山県井辺八幡山古墳出土だが、実はこの古墳からは人物や動物の付いた装飾須恵器も出土している。こうした遺物は同時代的なものなのである。この埴輪の人物は、大きな腹にふんどしを締めた、相撲の力士とされているが、この人物も、確かに鉢巻を頭にめぐらしている。しかし他の古墳でも数例力士が発見されているが、鉢巻をしているようにもみえない。その他の数多い人物埴輪でも、色々な帽子を被る人物は多く、帽子のつばの表現はあっても、鉢巻は見当たらない。

 装飾須恵器の小像達の中にも、相撲をとる者たちがいる。形の確かなものだけでも、五例はあるが、これらの人物も鉢巻はしていない。鉢巻さんは今分かっている限りで、当館所蔵の法蓮出土のおじさんと、前回スケッチを示した、瀬戸内市長船大塚の人物たちに、今回上にスケッチで示したこれも瀬戸内市磯上出土例と、奈良で小像だけ単独で採集された二塚古墳出土品(右下)だけなのである。

 磯上出土のものは、古くから東京国立博物館の所蔵である。一個の台付壷形土器の肩に、乗馬姿の二体の人物の他は、個体分離も出来にくいほどの、動物・人物の入り組んだ小像が16~17体も付く。下手なスケッチで分かりにくいかもしれないが、まだ写真より状況はわかりよいと思う。

 この乗馬の二人が鉢巻をしている一人は、手に長いものを持つが、これは弓の表現と見てよい。多数の動物中の人物は勢子のようだ。小さい動物は犬らしい。その他は、角表現もあることから、鹿の群れだろう。全体として狩猟の表現である。

 先回の伝長船大塚出土の鉢巻四名は、中の一名は太い長い荷物のようなものを担いでいたが、他の三人は、大きな体格に作られ、鉢巻までしていたが、すべて頭を垂れている。荷を担ぐ人物も、思いなしか頭を垂れているようだ。まるで彼らは哀悼の思いの中で、力役に従う者のようでもある。伝法蓮出土の当館の鉢巻さんも、堂々とした体躯で、謹厳に直立しているようだ。

 こうして見てくると、この頃の鉢巻には、特に共通性は無いようだが、埴輪も含め全てが、葬送儀礼の品として製作されているのである。葬送の場で、人々が担う行動が示され、しかも力を込めた精一杯の仕事をする表現が鉢巻だった、と思うのは勝手な想像だろうか。そこには古墳築造の力役だけでなく、死者のための相撲競技や、狩猟競技もあったのでは・・・

 今のところ、彼らより古い鉢巻姿は思い当たらない。考古館在住の鉢巻おじさんの本音も、明らかとは言えないが、ともかく彼も、わが国鉢巻文化のスタートラインあたりに立っていると言えよう。

Go to Top