今年(2009年)9月の秋の連休は例年に無い連続で、19日の土曜から23日までの5日間であった。かつてとまではいかないが、考古館界隈は、人出の波が続く。ただし残念なことに、考古館への入館者は、極めて僅かである。これも近年の傾向である。
この連休の初日19日の朝8時、さすがにまだ周辺には、ほとんど人影は無かった。左上の写真は、大原美術館前、倉敷川が行き止まりになっているあたりの、川岸の風景である。すぐ手前が、倉敷河畔のメイン道路であり、後一時間もすると、人の流れが切れないこのあたりでも、最も込み合うといえる道なのである。(左下写真は22日昼間の河畔の人出)
早く訪れた人であろう、川岸に腰を下ろしている。よく見る風景であるが、その横に同じように鳩が並び、鷺がならんでいた。鳩は最近この一帯でもあちこち糞害で、観光客にも迷惑をかけているが、一方では餌をやる人も多く、数を増して厄介者になっている。ともかくも鳩もこれから行動の前の、一休みなのか、それとも隣の人に餌をねだるのか。
鷺はこの界隈に住みついて長い。近年周辺で見るのは大体1~2羽なので、テリトリーでもあるのか。同じ鷺でも幾種類かのようで、代替わりはしているのだろう。ともかくこの人通りの多い、観光地の中で鷺を見るようになって幾十年にもなる。
始めのうちは、それでも人の近づけない岸や、川中の杭に止まっていたが、最近の鷺は、全く人怖じしない。多数の団体客がすぐ横を通っていても、平気でじっと人通りのある岸から、川中の魚をねらっている。時に目の前で魚を捕らえ、観光客から歓声が上がっていることもある。人通りの横で、悠々と大きな魚を、呑み下しているのを見た事もある。
20年も昔になるだろうか、その頃もこの同じ場所で、現在以上に人が込み合う道のすぐ近くで、川の中の棒杭の上に止まって、じっと動かずいる鷺がいた。都会から来た人たちには、不思議な風景だったのだろう。たまたま二人が、その鷺は飾り物だろうかと話していた。一方が石を投げてみれば分かるともいっていた。
偶然に通りかかったときに耳にした言葉で、石を投げたかどうかまでは確認しなかったが、その頃は、この界隈では夏には降るほど鳴く蝉の声を聞いて、あれは録音ですか、とたずねる観光客が幾人もいたのである。観光地は、自然の営みとは全く切り離された所と思われていたのだろう。
これはつい先日、やはり道を通りながら、聴いた言葉だが、人のすぐへりで、柳の下に首をしっかり立てて、じっと立つ鷺を見た人が、「なんだこの鷺は自分も景色と一体感を持って気取っている。」と話していた。同様に別の日には、1m近くに寄っても動かぬ鷺は、多くの観光客の被写体になっていた。今度はこちらが、動くかどうか確かめたくなる気がする。右の写真も、へりを自動車が行き過ぎても、2m足らず近づいてシャッターを切っても、びくともしない鷺である。
人間の近くには、自然の動物が自由に生活しているのが普通ではあったのだが、とは言えお互いは、別の生き物として、一定の距離をおいていたはずだっただろう。いつの間にか、倉敷川の鷺は特異な存在になったようだ。まるで人を恐れず、人間の仲間と思っているのだろう。
倉敷川には、今も2羽の白鳥が放されているが、これも何代目かである。本来は渡り鳥である白鳥は、羽を切られてこの川に居付かされたのである。かつて羽の切りそこないのため、飛翔力のあった白鳥が、飛び出して周辺の養魚場などで迷惑をかけたことがある。
近頃鷺が白鳥の寝床に入っている事がある。鷺よ、ゆめ自分の本分を忘れるな、お前はどこへでも飛んでいけるのだ。人間が自然にとって、一番怖い天敵だとはわかってないだろう。
古代人の造形の中にも鳥は良く現れる。時代により地域によって、その姿に込められた、人間の思いがあったはずだが。今に残るものには、現代人の感覚で接してしまう。考古館内にも数点だが鳥がいる。日本のものはこの「よもやまばなし」の16や17で取り上げている。
今回左に示した写真の鳥は、考古館に展示している、南米ペルーの古代の土器の形であったり、土器にスタンプされた文様である。みなペリカンだろうか。これらの展示品については、また改めてとりあげたい。