何で倉敷考古館やその周辺の話に「死海」なのだと言われそうだが、死海の海?水(湖水)が実の海水の10倍も多くの塩分を含むことから、古代の塩生産には最も関係深い、瀬戸内中心部に位置し、古代製塩をも考えてきた倉敷考古館の話には、決して無縁でない・・・・・・
何で倉敷考古館やその周辺の話に「死海」なのだと言われそうだが、死海の海?水(湖水)が実の海水の10倍も多くの塩分を含むことから、古代の塩生産には最も関係深い、瀬戸内中心部に位置し、古代製塩をも考えてきた倉敷考古館の話には、決して無縁でない・・・・・・とはいうものの、本当は少々こじつけ・・・・・たまたまツアーで、シリア・レバノン・ヨルダンの著名な世界遺産を見て回った途中、僅かな時間、死海を訪れたこともあって、そこの土産話とでも思っていただければ幸い。
すでにこの「よもやまばなし」では、幾度かにわたって、瀬戸内地域の古代の製塩に関することを、個別の話題から触れてきている。それは、このあたりでは主に弥生時代から古墳時代を通じ、土器によって海水を煮詰めて塩を作ることに関わった、話題であった。
「よもやまばなし」の57話では、6~7世紀頃の製塩土器の文様を扱い、59話では弥生時代中期の製塩用土器と、その器形の土器による製塩実験の結果を話題にした。特に60話では中部瀬戸内の岡山県周辺の海岸で、爆発的に生産された製塩土器(師楽式土器)が、なぜ、土器の座りには必要の台脚が無くなって、座りの悪い丸底になったか、などの考えを述べてきた。気になる方は、それぞれ先の話題の数字部分をクリックして、参考にしていただければ、大変ありがたいのだが・・・・
実はこの60話に記したことは、古代の土器製塩に関して、ちょっと新しい見解のつもりで書いた小論の、要約のようなものだった。この結論のため実は、今年の夏に負けないような暑い一夏をかけた、ささやかな実験をしたのだが、そのことは60話では書いてない。
製塩土器と似た器形の、現代の焼物幾種かで、庭のようなところでも真夏の炎天下では、どれほどの蒸発があるものか、実際の海水を汲んできて、日々の蒸発と濃度の計量を続けた結果であった。 このことは、個々の実験結果を、一応数値を上げて下記の雑誌に発表しているので、気になる方は見ていただきたい。(神戸女子大学史学科『神女大史学・17号』「師楽式土器再考」2000/9)この時つくった塩は、今も手元に残している。後でまたお目見え。
10年以上も昔の、全く手製の塩つくり実験を思い出したわけでもないが、ヨルダンで死海に面したホテル泊ということで、塩分が普通の海水の約10倍もあるという死海では、水中での人体浮遊が有名であるが、こちらにとっては、死海そのものの水と沿岸の自然結晶の塩に、多いに魅力があった。
古くから死海の水は、美容や肢体に良いとされ、クレオパトラやシバの女王、ソロモン王まで使用したなどという、伝説もあるようだ。昨今も、インターネットで検索すると、死海の塩や泥などが、いま流行りのエステや入浴剤として各種販売されている。
ともかく現物が知りたいし、欲しいというのが本音で、僅かな夕暮れ時の浮遊体験中、400cc入りのペットボトルにいっぱいの塩水を採集。円礫ごろごろの岸辺では、やや大きな石に貼り付いていた塩の膜(上の写真参照)、厚させいぜい1~3mmのもの、手で触ればぱらりと落ちるものを、3~400g袋に収めた。
やっと目的を果たしたので、この貴重品が無事旅行カバンの中で日本に到着のため、流れ出ないよう、かなり厳重にビニール袋で防備した。これは塩水が出るだけでなく、塩がべたついて、苦汁が流出するのを防ぐためでもあった。
税関で不審物と咎められることも無く、無事到着。塩のほうは全く潮解することも無く、採集時のままだったのには驚いた。
そこでまたちょっとお遊びの実験。持ち帰った死海の水は、海水の10倍もの塩分があると言うのだから、200ccの水からどれほどの塩が出来るか、持ち帰った半量を小鍋に入れて煮詰めたのである。内容物が混ぜる箸についてあがるようになるまで煮詰め、後は自然蒸発に任せた。
水分が完全になくなり、冷めた。ところがさあ大変。内容物は鍋の底に、カチカチに貼り付いた塊となってしまったのだ。それもかなりな量である。塩の結晶らしい姿はどこにもない。
やっとの思いで、貼り付いた鍋底から取り出した、皿のような形の固形物、台所用の大雑把な秤で、約80g。この固形物は直ちに潮解をはじめ、2日の後には、65~70ccばかりの溶液と、やっと固まった程度の、きめの細かい粉状固形物約10gに分離した。すべて大まかな計量であるが。
化学音痴となれば気はまめなもので、普通の海水と死海の塩水との違いは、塩の量の違いとしか認識していなかった。確かにそれは「塩分」の量の違いなのだが・・・・・・
海水では塩分とされるものは、全量の3%強、そのなかで、普通に塩と考える,塩化ナトリウムは、80%近くあるが、おもな苦汁である塩化マグネシュウムは、10%に満たないらしい。
死海の塩水中では、30%以上の塩分があるが、その内容は、塩化ナトリュウムは僅か5.5%、それに対して塩化マグネシュウムは33.3%、塩化カリュウム24.3%などがあるとされている。インターネットで見た、この死海水の分析値が正確かどうか、検証してないが、ともかく両者の塩化物を、全体での中の含有量として見ると、次のような数値になる。
海水ではナトリュウムは2.5%、マグネシュウムは0,3%足らずということ。死海では、ナトリュウムは1,65%で一般の海水にも満たない。一方でマグネシュウムは10%も含まれることになる。この違いが先の海水を煮詰めた時の、違いであったといえる。
一方、死海沿岸で採集した塩の味の方は・・・・・実はかなりの人に、「何が入っていても責任持ちませんよ」と身勝手な宣言をして、塩を極く僅かずつ差し上げたのだが、そのなかの幾人もの方が、ちょっとなめて「これは美味しい」「料理に使いたい」「おにぎりで食べたい」など、すべてほめ言葉。後からも、トマトやさつまいもに付けて食べた美味しさの声。
もちろん私も、死海の水が、舌を刺すなどの生易しい表現ではいえない、すぐに吐き出して口を漱がねば、という味だったのを知るだけに、最初に塩を舐めた時は「塩が甘い」と思ったのが事実。
塩味の比較は4種。自分の舌を信じることにする。
(市販の塩) 確かに辛い、後味は悪くはないが、それ以上のものはない。
死海の水の煮詰めから、苦労の末、沈殿して集めたきめ細かい固形物) 辛い、かなり舌を刺す苦味。ただもとの海水とは違って、塩味である。後味は良くない。常温で潮解の傾向がある。
(海岸採集の塩) 確かに塩であるが、市販の塩の強い辛みは無い。何時までも口に入れて味わえる。全体に1mm程度の結晶が多い。潮解性は今も見られない。
(瀬戸内海の海水から手作りの塩)辛さは、市販の塩並み、ただ多少苦味はあるが、舌を刺すもので無く、全体にまろやか。10年以上昔の製品。塩全体が柔らかくなる程度のべたづきあり。作った頃しばらくは、サラサラだった。
死海では、なぜあのすさまじい味の水から、それに接した沿岸で、あのような美味しい塩が出来るのか、科学的には説明できるのだろうが、私は、この地のさまざまな伝承を生んだ長い歴史が、作ったもと思っていたい。
塩を採集した死海の対岸にうっすらと続く山なみ、その地、パレスチナやイスラエルの日々の平和をも、心より祈りながら。