先回の話題で、アルメニアの黒曜石に触れた。この石材が世界的に、人類が石の道具を使用していた頃の、石器の重要な材料の一つだったということは、今や常識といっていいだろう。世界の各地で産出するが、現在のトルコからアルメニアの一帯も、著名な産地の一つであった。
右の写真は、アルメニアのセヴァン湖畔にある、露天商で入手した黒曜石の原石。採集地は分からないが、おそらく近い地域の物であろう。全面黒色だけでなく、黄色の模様をなすものもある。外面に光沢が無く、ガサついた皮のように見える灰色部分は、産地で長く露出していて風化しているのである。これらの石が天然石である証明にもなるだろう。
ところで黒曜石だが、この石材は、火山が噴出した時、多くのものは普通に固まると、流紋岩といわれる石になる性質のマグマが、地表近くや水中などで急冷された場合、均質でガラスと同じような性質の石材になったものである。もちろん生成されたところで、変化は多いのだが、名前のように割れ口は黒光りするものが多く、ガラス光沢で、貝殻状断面を示し、破砕すると刃物のような鋭利な縁を示すものが多い。
原始時代人は、大変巧みにこの石で繊細な石器を作っているが、現代人が不用意に、この石を加工しようとすれば、大変危険である。また当時の遺跡で石器製作跡などの調査でも、不注意であれば、手を傷付けるようなことになる。壊れたガラス製品の後片付けをしている感じである。
左の写真で一点だけ示したものは、倉敷市の児島にある景勝地、鷲羽山での採集品。ここは著名な、旧石器時代の遺跡でもある。多数並べるものは、長崎県佐世保市吉井町福井洞穴での発掘品。共にわが国で土器の使用が、やっと始まったかどうかの、1万4~5千年も前の頃の物、いわゆる細石器である。
「土器の使用が始まった」といっても「それが何だ」・・・と言われそうだが、氷河時代が終わりつつある中で、急速に自然環境が変わり、今まで食料としてきた大形獣の減少で、新たな食料を増やす手段として、土器は大きな発明だったのである。弓矢もその頃の発明である。
土器の出現で、食材を簡単に火にかけて煮ることが出来るようになると、食料源は今までの生活に比べどれだけ広げられるか・・・現代人にはすぐに思いつかないかもしれないが・・・ちょっと考えてみるのも、頭の体操・・・
ところで・・・「岡山周辺の発掘品を中心に展示している倉敷考古館が、鷲羽山遺跡はともかく、何で九州の資料なのだ?」・・・実はこの福井洞穴遺跡の調査は、現在も地元の教育委員会によって行われている。だが考古館に展示している資料は、半世紀も前に実施された福井洞穴の発掘調査に、当館も参加しており、その際の調査資料なのだ。
かなりな量に上った資料の大部分は、当館で整理し、その一部を保管してきた。この遺跡の他の発掘資料の多くが、大学などの研究機関に保管されているため、一般の人や、多くの学生さん達には、簡単には目にし得ない資料なのである。
黒曜石の話が少々わき道に行ったが、今では日本でも黒曜石産地は数多く判明しているが、古くから知られた産地は、北海道の十勝や信州の和田峠、九州では腰岳などであろう。わが国の多くの考古学者は明治時代以来、黒曜石の産地別の性格を、理化学的な方法も含めさまざまな方法で探究しており、遺跡出土の黒曜石が、何処から入手されたものかの研究を追及し続けている。
言うまでも無く、旧石器時代人や縄文人達の、行動範囲、交易の有無などを目的にしての研究である。黒曜石の産地が無い岡山県南部の鷲羽山遺跡では、数多く出土しているほとんどの石器が、香川県産のサヌカイト製である。その中で唯一、採集されていた黒曜石製の小さい石器は、島根県隠岐島産の黒曜石と考えられている。
誰の手で作られ、どのような経過で、この石器はここにもたらされているのか、小さいが見事な加工、手にとっても1万数千年のタイムトリップは、なかなか実感にならない・・・
瀬戸内地域で古くから知られた黒曜石産地は、大分県の国東半島のすぐ東に浮かぶ姫島の観音崎、ただしここの黒曜石は、黒くなくて乳白色なので分かりよい。主に縄文時代に使用されているが、岡山周辺での使用例は、この黒曜石もめったに見られない。
アルメニアの黒曜石に始まったが、内容は当考古館の黒曜石のことになってしまった。海抜1925mの地点にあり、琵琶湖の2倍もあるセヴァン湖という湖周辺の、現代の黒曜石にも触れておこう。ここで黒曜石の原石を手に入れたのだから。
アルメニアの首都エレバンから、この湖にいたる途中の山の切通しには、黒曜石の露頭があったが、バスで通過。写真にもできなかった。避暑地などになっているセヴァン湖畔では、黒曜石製の土産物がかなりあった。ただし全てが天然石製かどうか?・・・
右に示した写真、一つは、景色の美しいセヴァン湖畔の岬の上に立つ教会。これは凝灰岩をレンガの様にして築かれていた。いま一つは、湖畔の露天商で購入した土産物の黒曜石製の教会である。この教会の部材には、黄色の縞模様や、白く透けて見える部分がある。