すこし前の(184)話や(185)話で取り上げた、スリランカでの話題では、観光の中心でもあった、世界遺産などの寺院址や仏像・彫像遺跡などに、特には触れなかった。というのも、当方の勝手な感覚で、現代的に復元されているものも多かったからかもしれない。しかしそれは観光のためというより、現代の信仰に深くつながっているためでもあろう。
スリランカは多宗教の混在する国であった。先回も記したと思うが、基本的には仏教徒が約70%、ヒンドゥー教が15.5%、残りはキリスト教とイスラム教が半々程度らしかった。
仏教中心と云う事では、わが国と似ているが、はるばる大陸経由でわが国に訪れた仏や寺々と、インドから古い時期に直接仏教がもたらされた国では、信仰対象の違いや、仏や寺が違うことも、常識としては知られている。
しかし仏教の中には、本来はインドの神々であったものが吸収され、一方ではそれらはまた、ヒンドゥーの神々でもある。スリランカでは、ヒンドゥー教の影響も大きく、一つの寺院に仏像とヒンドゥーの神像が揃っていることも、珍しくないようだ。参考までに現代のヒンドゥー寺院の外観を右上に示した。
スリランカでは紀元前3世紀には仏教が伝わったとされ,当時の首都アヌラーダプラには仏教の聖地イスルムニヤ精舎がある。見学者も全て靴を脱ぎ、地上を歩いて参拝する。この地から出土した石製レリーフの多くが、その地の考古博物館に収蔵されていた。
その多くは6~7世紀頃の物のようだが、中には仲睦まじい男女像もあり、今は「イスルムニヤの恋人」とよばれていうようだ。その自由な肢体は、ヒンドゥーの神々にも通じるようだった(下写真参照)。
アヌラーダプラから続く都はポロンナルワで、11世紀半ばから13世紀末ごろまでだが、この地では、特に仏教とヒンドゥー教の融合は激しいようだ。多くのヒンドゥー寺院も作られている。最初に左上にあげた写真は、この地の著名な仏教寺院の一角にある7階建の建造物で仏塔だとされる。そこの正面を飾る像は、仏なのか、神なのか…日本の本地垂迹を思い出す。
日本での身近な神か仏かとなると、先回話題とした「稲荷」・・・先回は最上稲荷の山門を話題としたが、その時、今頃は妖怪ブームだから、もし山門の仁王や狐が抽象的な彫像であったら、妖怪の元祖として尊崇を受けていたのでは・・・・など書いた。
不敬な奴と叱られないためにも「お稲荷様」とはいったいどのような神?・・それとも仏?・・・宗教に無縁の衆生は、ちょっと『仏教語大辞典』『国史大辞典』その他『百科辞典』類の知識を借りて・・・
そもそも「いなり」とはその言葉通り、はじめは稲の生産に関わっての神ともいわれる。そこから派生した話か、多くの稲作つまり大土地支配で財を成した者が、弓矢の的を餅で作ったことで、矢で射た的が白い鳥となって逃げた、という話が、山城国と豊後国の風土記逸文にある。
この話はともに逸文であって、本来の『風土記』での存否はよく分からないが、山城国の方では、秦氏祖先の人物の行為とされている。ここでは餅の的だった鳥の行き先で稲がなり、そこが「伊奈利社」になった。行いを悔いた人物は、そこの木を取って植えて根付くと、「福」が得られたというような話である。
一方豊後国の方は餅の的の話は同じでも、氏族との結び付きはなく、的を作った者は財を失い、その土地では他の者が作っても稲は実らなかったと言う話である。山城では渡来人であって裕福とされていた秦氏が、いなりを祭るはじまりだとしているようだ。
この「イナリ」の神は、本地垂迹では「荼枳尼(ダキニ)天」と合体するようだ。ダキニは大黒天の眷属で夜叉でもある。本来インド起源の神で神通力を持って、人の死を6ヶ月前に知り、その心臓を食べるとされる。こうしたことから不思議な力を持つ神でも仏でもあり、五穀豊穣、商売繁盛、開運等々、多くの利益をもたらすとされたようだ。
わが国ではダキニ天は狐に乗る天女像で示されているが、他国では頭蓋骨を持ったり、人の手や足、骨を持つ姿で表現もされている。正に妖怪的ともいえよう。同じと考えられている神々も、他地域や、他の宗教に接したとき、その地の思想や社会状況を自然に吸収して、地域的な特性となっていることは周知されているだろう。
稲荷大明神を妖怪的といったのも、現代人にも願望である神通力を持つ神仏ということで、ご容赦を。本当の妖怪は人間だということは、誰もが知っていることだろう。「人」から生まれた神も仏も妖怪も・・・もとはと云えば離合集散は自由なはずなのだが、「人}の業(ごう)はなぜ妖気を掻き立てる・・・