(53) 霧の倉敷川畔 - よもやまばなし

(53) 霧の倉敷川畔
2009/4/1

 考古館入り口に展示している、千足古墳石室内写真については、このよもやまばなし(23)でとりあげた。それは倉敷在住の写真家中村昭夫氏を悼むことでもあった。同氏が逝かれたのは、昨年(2008)の2月8日である。早いものでもう1年が過ぎたのかと、改めて思ったのはつい先日の事。たまたま出版された冊子が送られてきたが、その表紙で、中村氏の写真に遭遇した時の事である。

霧の倉敷川畔

 それは生前に撮られていた写真だが、考古館のすぐ前あたりで、倉敷川畔を写したものだった。毎日見慣れた風景だったが、別の世界のようでもあった。霧の中で霞んだ全体の風景の中で、川面に映し出された地上の木々や家屋は、むしろ鮮明なのである。そこに白鳥がいた。普段の倉敷川に、白鳥が馴染むものとは思っていないが、背景が無限の中で、近景の1羽の白鳥が、白い姿と真っ黒の相似形の影を映し出していた。

 何の巧みも無い、灰色に近い濃淡の景色ながら、「さすが・・・」と思う。この界隈は、連日といっても大げさでないほど、多くの人の写真題材となっている。どれほどの数の作品があることか。その中で見るものに感動を覚えさす写真が撮れることが、本当のプロだろう。中村氏の写真にこのようなことをいうのは、大変失礼な事だが、改めてプロを感じ、本当の倉敷を知る、倉敷にとって本当に惜しい人を失った事を、また改めて思ったのである。

 実はこの時、中村氏の写真を見て、私たちも常日頃ながめている風景の中で、霧の中の景色をどれだけ意識していただろうか、などとも思っていた。

 2月最後の28日だったが、岡山県の南部では朝大変霧が深かった。倉敷川畔でも、かなり霧が立ち込めていた。この日考古館に出勤するなり、中村氏の写真を思い出し、また中村氏作品の盗作とばかり、カメラをもって飛び出したのである。しかし、いざとなると良い画面となる場所はなかなかない。白鳥もいたのだが、なかなか思ったところには来てくれない。

 ともかくも記録と思い、幾枚かシャッターを切った中の2枚が、ここにあげたものである。遺跡写真では邪魔者の霧であるが、その霧を意識して周辺の景色を眺めていたら、外にもカメラを構えている人がいた。まだ観光客の姿の無い時間である。霧を意識して撮影に来た人だろうか。

 30分もしない内に霧は晴れてしまった。霧に霞んで背景が彼方に続く景色は、アングルの良否は別として、確かに幻想の世界である。しかし、倉敷川畔周辺の背景が霧の助けを借らないと、美しい風景にならないのであったら意味はない。何時までも霧で隠さねばならない倉敷にならないことを、一番願っているのは、中村氏だったと思う。

 この日たまたま「吉備路郷土館の未来を考える」シンポジュウムが、吉備路風土記の丘に近い、岡山県立大学で開催された。この郷土館は、風土記の丘の施設として設置されたものだったが、岡山県の財政逼迫で、切り捨てられようとしている施設の一つである。これを守ろうと言う人々の集まりである。写真家であった中村氏も、当地方の優れた文化財に傾倒、造詣も深く、関係の写真集も出版されている。生きておられたら、きっと参加されたであろうと思う。

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