(118) 鏡 その2 三角縁神獣鏡 - よもやまばなし

(118) 鏡 その2 三角縁神獣鏡
2011/12/15

 先回のこの欄で、わが国の弥生時代や古墳時代の墳墓に大量の鏡が副葬されていたことを思い浮かべた、と言ったのだが、考古館をホームページで探して下さるような方たちであったら、弥生や古墳時代の墳墓出土鏡といったら、まずどのような鏡を思い出されるだろう・・・・と勝手に想像してみた。きっと三角縁神獣鏡ではなかろうか・・・・

倉敷考古館に展示中の三角縁神獣鏡

 とんでもない!!様々な鏡があるではないか・・・と言われる方は、考古学の専門家か、倉敷考古館などをよくご存知の方々だろう。だが残念なことにこうした方々はあまり多くはないようだ。もし当館に直接関心を持たれて、ホームページを見る方であれば、当館のこのパブリック・サイトとしたインターネットを直接に見ていただけると思う。

 ところが一般的にインターネットで「倉敷考古館」を検索すれば(ヤフーとグーグルでのことだが)、いつもトップに上がっているのは、「倉敷考古館―邪馬台国大研究―」とあるホームページ。

 10年も昔の2001年3月2日に上げられたもの。全く当館にはかかわりの無い方が、見学された際、何のお断りも無く展示品の多くを撮影、全くそのままが次々に載せられている。もちろん邪馬台国には特に関わりない内容。

 当館のホームページとうたったものより、「邪馬台国」とタイトルに有るほうが一般的には魅力がある、ということなのだ。そうした状況であるから、邪馬台国といえば、卑弥呼の使いが中国を訪れた時、下賜された100面の鏡が、三角縁神獣鏡ではないかという議論も、また定番・・・・そこで古墳の鏡といって思い出すのは三角縁神獣鏡・・・と下手な三段論法でのこと・・・

 脱線してしまったが、ともかく古墳時代の埋葬では、一人の埋葬に対して、多くの、時には数十面というような鏡を副葬した場合には、その鏡の中に圧倒的ともいえるほど、三角縁神獣鏡が多いのである。しかもこの種の鏡には、中国製と日本製があるとか、いや全てが日本で製作されたのだ、という議論もあり、邪馬台国論争を盛り上げている。

 ともかく、弥生や古墳時代人が鏡をどのように考え、使用していたのか、それは卑弥呼の姿にも邪馬台国にも無縁の問題ではない、と考えられているからである。

 そこで、古墳中での鏡の扱いの実態は?・・・一面のみ副葬された場合、遺体の胸や頭辺りに置かれている。複数の場合、一面は胸や頭辺りにあるが、他の多くは棺の周辺で、頭とか上半身を取り巻くように、並べられ、しかも映る面、つまり鏡面を遺体の方向に向けているようだ。木棺と周辺の石室の間が狭く、鏡面を内側にして立てた状況の場合も多い。

 第二次世界大戦後間もない1947年に調査された大阪府茨木市の紫金山古墳は、約100mの前方後円墳であるが、ここからは様々な副葬品と共に、12面の鏡が出土した。前期の古墳の姿を具体的にした重要な古墳の一つであった。

 ここでは棺内に1面の中国製の鏡があり、鏡面を下にして出土したが、棺外の頭部周辺に11面の鏡がほぼ鏡面を棺のほうに向けて、置かれていたのである。そうして棺外にあった鏡のうち10面は、縁の断面が三角形となる、三角縁神獣鏡であった。ただそれらは、日本製といわれている。

 奈良県の天理市柳本にある黒塚は、紫金山古墳調査より丁度半世紀後の、1997年に調査された。全長130mの前方後円墳だが、ここでは34面の鏡が出土した。ここでも1面のみ棺内で、他は遺体の上半に当たる辺りの棺外に、鏡面を棺の方に向けて重なるように、立て並べられていたのである。棺外の鏡全てが、中国製と言われることの多い三角縁神獣鏡であった。棺内の鏡は中国鏡だが、三角縁ではない。棺外の鏡などは、布などに包まれていたようだ。

 それでもこれらの鏡が卑弥呼に贈られたものだという証明は無い。ただ同じような形の古墳を築き、似た埋葬をした古墳の始まり頃の人々は、当時の鏡に対して、大変似た思いを持っていたといえよう。

 鏡は人をそのまま映す、また光りを受けて、光りそのもののように輝くものである。中国からもたらされた貴重な鏡を光と共に持つ人物、鏡はその人物の分身でもあろう。最も重要な鏡が本人、周辺の鏡が多いほどその人物の威光・威力の分身の多さとなる。そうしてその分身は、本人と共に葬られることが、埋葬に参加した者に、死者の威光そのものを示していたのだろう。

 古墳時代の始まり頃に、最も数多く埋葬されていた三角縁神獣鏡、人を映し、物を映す鏡でありながら、どれだけ本来の用途に使用されたものか。死者の棺外に並べられていた鏡、死者の顔を、一度でも映したことがあったのだろうか?

 ところで当館の事とは無縁の話になってしまったが、岡山県下では最も多くの三角縁神獣鏡が発見された、岡山市湯迫の車塚古墳出土の13面の鏡も、11面が三角縁神獣鏡であったことは、この種鏡に興味を持つ人には周知のこと。しかしこの鏡が、半世紀以上も前、最初に集められて、展示公開されていたのが、倉敷考古館だった ということを知る人は、きわめて少なくなっただろう。この備前車塚古墳出土鏡は、東京国立博物館蔵品になっている。

 今考古館では、写真に示した出土地不明の、破損した三角縁神獣鏡が一面展示されているだけである。古く奈良の辺りの出土かともいうが、全く由来の分からない、残念な遺物である。邪馬台国とは程遠い話。「されど」これも歴史を映してきた鏡。

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