(198) 半世紀前のバーミヤン石窟寺院の大仏 - よもやまばなし

(198) 半世紀前のバーミヤン石窟寺院の大仏
2015/5/15

 昭和41(1966)年11月、故大原総一郎氏(クラレ社長、大原美術館理事長、当館顧問)からご指示を頂き,西アジアの遺跡と博物館を訪ねるツアーに参加した。パキスタン、アフガニスタン、イラン、イラク、シリア、レバノン、ヨルダン、それにアフリカのエジプトを加えた八か国を約一か月で廻るものだった。

1966年11月 アフガニスタンのバーミヤン石窟遠景

 それらの地は、インダス、メソポタミヤ、ナイルの三大文明発祥地を含み、古代仏教文化や古代ペルシア文化の中枢の地である。

 戦後20年、海外旅行の外貨割り当てが一人500ドル(1ドル360円レートの頃)を限度で許可になって間もなくのこと、同地方へのツアー旅行などは大変珍しかったころである。東京大学の故江上波夫先生が企画・同行され、参加者は10名だった。

 今では、政情不安が伝えられる国が多いが、当時は、ヨルダン川西岸のエリコでイスラエル国誕生によるパレスチナ難民キャンプ地を遠望したこと、エルサレムの旧市街では同行者が離れないようにと強く求められた他は、安全な地域に思えた。

 この見学の前後のころには、大原美術館所蔵のイランやエジプトの考古学資料を考古館で展示し、1971年には広島大学イラン遺跡調査隊に参加したこともあり、西アジアの遺跡、遺物の情報には、その後にも興味を持ち続けている。

 今年(2015)3月、シリア北部の主要都市アレッポ博物館の前館長(現在日本滞在)の話が報道された。2011年に始まった民主化運動が内戦へと広がり、大量の難民を生む。博物館も無事ではない。破壊と略奪から護るため、展示資料を収蔵庫へ移すとか、安全な他所へ移動するとかで、博物館を閉鎖したという。状況には違いがあるが、日本でも戦争末期に博物館・美術館資料を疎開したことを先輩関係者から聞かされたのを思い出す。

 最近では、シリア内戦にイスラム国を名乗る超過激派が加わって力を強め、西隣りのイラク北部へも勢力を拡大し、日本人ジャーナリストを人質にとり殺害した事件があった。続いて、著名遺跡や博物館での破壊と略奪が盛んに報じられだした。

バグダッドの国立博物館

 50年前のツアー旅行で、イラクの首都バグダッドを訪ねたとき、ちょうど新しく建設された国立博物館(右写真)のオープンに遭遇した。西アジアの国々の博物館が、二次世界大戦までの支配国ヨーロッパの国の援助によって古く造られた博物館ばかりである中、独立社会主義国イラクが自力で立ち上げた博物館であった。立派な新博物館で、メソポタミヤ、アッシリアの文化遺産に接し、新興国イラクの心意気を感じたのだった。

 後に、そのイラクでは独裁政権か出現し、アメリカ軍などとの間でイラク戦争となり、フセイン政権が敗退。その混乱で、バグダッドのイラク国立博物館が破壊と略奪の場となった。やがて新政府になって、安定へと向かうかと思っていると、今度はイスラム国による新たな破壊と略奪である。

 アフガニスタンのバーミヤンは中国の敦煌、雲崗(大同)と共に、三大石窟寺院といわれることがある有名な遺跡であるが、交通不便な場所にある。50年前に訪問したときは、カーブールから西へ、山間を縫うように続く車が通るとは思えない山道を片道ほぼ一日がかりで、タクシーに分乗して走った。

 夜遅くに辿り着いた宿舎から、翌朝目が覚めて、朝日に輝く砂岩の岸壁に無数の洞穴や大仏(トップ写真)が見えたときは感激だった。山間の盆地の中、遠くには雪山もみえた。

 半日かけて洞窟寺院を歩いても、洞窟の内部は複雑な迷路のようで、ごく一部を見学できたに過ぎない。外からよく見える長大な洞を造った中に彫り出されている大仏が二か所にあり、高さは56mと38m、表面を漆喰い塗りしている。偶像を嫌うイスラムの時代になって、大仏の顔面を削り落してはいるが、壮大な立像である。

 洞内は全面に彩色壁画が施されており、残存した部分も多かった。二つの大仏は、どちらも頭上に上がって壁画を観察し、外の景色を遠望することができた。秘境の大遺跡バーミヤンは見学の旅の前半のハイライトだった。

56mの大仏、大仏の足元人物と比較。

38mの大仏、2体は共に現在は胴体まで破壊されてしまった(石窟寺院は迷路の様で、大仏の頭上にも続く)

天井の彩色画、多くの仏たちが見られた

大仏の頭上から外の風景を見る

 旅の少し後、京都大学の樋口隆康先生に「バーミヤンまで行ったのか」と言われたことを思い出す。其の頃までに実際に足をはこんだ者は大変少ないところだったのであろう。その樋口先生の訃報が4月の初めにあった。先生のご業績では、三角縁神獣鏡など銅鏡の研究が有名だが、バーミヤンの調査も高い評価を受けている。先生に尋ねられたころ、既にバーミヤン調査を目指しておられたのであろう。

 アフガニスタンの内乱では、ソビエト軍の侵入と撤退、イスラム超過激派のタリバンが勢力を強め、2001年3月バーミヤンの大仏を爆破したのであった。その年の9月11日が、アルカイダによるニューヨークのビル破壊だった。・・・・樋口先生の訃報から、文化遺産や現代の悲しく重い現実を連想してしまったのである。

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