(166) 海幸・山幸物語 - よもやまばなし

(166) 海幸・山幸物語
2014/1/15

 タイトルの物語が『日本書紀』や『古事記』に書かれていることは知らなくとも、この話はおそらく皆さんご存じのはず。子供の絵本時代からの馴染みだろう。海の漁をする兄と、山の猟をする弟が、ある時それぞれの道具、つまり釣針と弓矢とを取り換えて、普段と異なる逆の猟を行ったという話にはじまる。

(左半)金蔵山古墳出土の釣針
(右半)現在瀬戸内海で使用中の釣針各種
〈最上スズキ用、次マダイ、次チヌ、次メバル〉
〈右タチウオ用:餌を巻きつけるように付ける

金蔵山古墳出土の鉄鏃各種
古墳時代中頃までに見られる大型の鉄鏃は、祭祀儀仗用の物か

 説明するまでも無いことだろうが、ともかく二人とも、何の獲物も得られず、弟の方は借りた釣針まで魚に取られたのである。兄から厳しく、釣針の返却を催促され、弟は自分の太刀を壊して、篭いっぱいの釣針を作って、返却しても許されない。困り果てた弟が、竜宮を訪れることとなり、ここから話は展開する。

 弟は竜宮の媛に愛され、結婚し、鯛の口にかかっていた釣り針も取り返す。国に帰った弟は兄に釣り針を返却したうえに、竜宮で教えられた方法や与えられた玉で、兄に手痛い返礼をして、ついに兄を従える・・・というストーリィ。

 次の話として、竜宮の媛が出産のため夫の元を訪れるが、出産の折には決して自分の姿を見るな、と夫に告げる。しかし夫はのぞき見をしたことで、妻は子供を置いて海に帰ってしまう。しかし子供の養育に、妹を送ってくる。その妹は、甥である姉の子と結婚し、この二人の子供の一人が、いわゆる東征の後に、神武天皇になるのである。

 いわば後の天皇家系譜に繋がるこの話は、古代に伝承されていた日本神話の中でも、皆によく親しまれていた物語であったようだ。日本最古の歴史書ともいえる『日本書紀』と『古事記』での記事が大変よく似ている。

 実はこの両書、ほぼ同時代の間に編纂されたものでありながら、内容に、かなり大きな違いがあることは周知されているだろう。しかしこの海幸・山幸物語は、両書とも極めて似た物語として記されている。この事は、すでに当時の多くの人が、こうした物語を自分たちの祖先の話として、認識していたことに外ならなかったのでは・・・

 かつては海浜で勢力を持った人々(集団)が、陸上で勢力を広げていった人々(農耕も行った集団)に取って代わられた世界を、反映した物語だったかもしれない。その時には、ただ漁労に携わった人々でなく、遠く海外までも交流を行える勢力もあり、こうした勢力との連携が、国内での勢力拡大につながった物語だったとも思えるのだが・・・・・・

 こうした物語は何時成立したのであろうか。『古事記』が出来上がったのは和銅5(712)年、『日本書紀』も養老4(720)年には40年近い年月をかけて成立している。共に伝承の背景となった時代は、6世紀後半から7世紀と考えられているようだ。

 しかし物語の小道具、釣針と弓矢は、わが国では縄文時代以来、生活に密着した道具である。特に縄文時代遺跡では、石器や骨角器としてではあるが、遺跡出土品として定番品である。弥生時代も同様だが、むしろ後半には鉄器が多くなったためか、生活の場では鉄器は錆てボロボロとなり、残り難い道具で、遺物としての出土量は減る。

 古墳時代になると、主要な道具はすべて鉄器であり、日常生活の住居跡出土例などは大変珍しい。その一方で、古墳への副葬品としては、釣針も鉄鏃も共に出土している。しかし実は弓矢に使う鉄鏃や刀剣の出土例は大変多い一方で、釣針を副葬する古墳は、数少ないものである。弓矢は弥生時代以来、武器としての用途が主体となり、古墳の主の武力=威力の表現だったといえる。

 冒頭に示した釣針(半分は現在瀬戸内海で普通の釣りに使用中のものだが)と鉄鏃は、共に考古館に展示している、金蔵山古墳出土品(よもやまばなし(31)(32)参照)である。4世紀後半か5世紀初頭頃使用されていたものといえよう。物語の背景としては、少々古すぎるのでは、ということのようだが、話題の海彦・山彦物語は、実はかなり長い、祖先たちの歴史を組み込んでの話ではないのか・・・・

 古墳出現の当初から、武器・武具類の出土は多少の差こそあれ、最も普通のことである。しかし日常の生活用具でもある、農具・工具・漁労用具あるいは縫製用の針などの出土は、むしろ古墳時代中頃までが多いといえる。

 古墳時代の中から後の天皇家の系譜が、生まれてきた経緯を思うと、弥生時代を通じても、最も生活に密接な道具であったものの全て、金蔵山古墳出土品に代表されるような各種の鉄器類(そうした鉄器類を使用する集団)を掌握した古墳の主、しかも広く海上の航海力、いわば制海権を握った勢力との姻戚関係の表現までが、王家誕生物語に結び付けられたのが、この物語だったのでは・・・・

 ・・・・何でも深読みがはやる時代、『古事記』『日本書紀』の物語をこのように考えたのでは、せっかくの神話のロマンが無くなると言われそうだが・・・実は考古学の遺物が語る物語のほうが、もっとダイナミックではないのか!!

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