(131) ドクダミ(十薬) - よもやまばなし

(131) ドクダミ(十薬)
2012/8/1

 ここにはまだ「ドクダミ」が生きていた・・・今年もその思いで、ドクダミの小さい十字の白い花を見て通った。左の写真がそれである。・・・・場所は大原美術館前の川向こうにある、大原家住宅(国指定重要文化財)の倉が並ぶ道路沿い、倉の途切れた西端の庭を囲う竹垣の縁である。

大原家裏庭の外にのぞくドクダミ

左の倉が大原家の倉、倉の向うに続く竹垣の下に、ドクダミがのぞいている。 奥の家の上に人が見えるところが、林源十郎商店のベランダ

 現在は倉敷市の観光施設の一つ「倉敷物語館」として改装された、旧東大橋家住宅も、ここから近いが、その屋敷跡でも、帰属や利用法が決まる長い間、道に面した倉裏手の木戸周辺には、梅雨の季節ドクダミの花が、通りすがりに多く眺められていた。今では、きれいに改装された屋敷跡では、庭園の内外にどくだみの居場所はなくなっている。

 ともかく左下の写真が、先のドクダミの生えていたあたりの、ちょっと離れたところからの風景。左側下方に見える竹垣が、その下にドクダミが生えている場所である。

 このあたりは倉の並ぶ倉敷の、一つの写真スポットとして、よく紹介される所であり、映画や宣伝のロケ地にもなっているが、実はここに示した写真あたりの風景が入らない場面が多い。

 この写真に示したあたりは、どこにもありそうな景色のためか、あまりお呼びでないようだ。それだけに倉敷の路地、生活の匂いが残る雰囲気がある。どくだみが自然に生えている姿も残っているといえよう。

 ところで、この道路写真をよく見ていただくと、奥の家の上に人の歩く姿が見える。実はそこが先に二回にわたって話題とした、林源十郎商店の一角で、ここには三階から外に張り出している広いベランダが造られており、そこを歩いている人。現在は観光客が、高い目線で、自由に周辺の景色を眺められる所ともなっている。

 以前では地上の道を歩く者にとって、両側倉の続いた奥の人家屋根上に、観光客が立つ姿などは思い及ばぬ風景であった。

 このところかつての林薬局を話題にしているついで、と言ったら申し訳ないのだが、あの林家の薬箪笥の上に書かれていた漢方薬の生薬については、少々思いがある。今回話題とした「ドクダミ」も、その延長上の一つ・・・

 ドクダミが昔から民間療法で、薬草として使われてきた事は、知る人も多いと思う。60~70年も昔の話だが、体に吹き出物が出来たら、この葉っぱを揉んで付けると聞いていた。 しかし葉や茎をちぎった時の、特有な臭気とも言える臭いが嫌いな人も多いだろう。日陰の湿地に生える事で、益々好かれない草になっているのでは・・・この草花は、現在街中では注目もされず、むしろ雑草として邪魔者扱いだろう。

 それでもこの草は、「じゅうやく・十薬」とも言われており、利尿に、便秘に、肌のケアに・・等々・・十もの薬効があるというのが、この名前の由来のようだ・・・近年ではこの白い小さな花がかわいいという人もいないではないが・・・確かに漢方薬局では「じゅうやく」として乾燥し切断したものが販売されている。

 幾十年も前から、倉敷市では地元市民の努力も含め、紆余曲折を経ながらも、古い町並みの保存に努めてきた。私たちもささやかながら、その一端を担ってきたとの自負はある。しかし町並み保存・修景の中で、屋敷片隅のドクダミは雑草に過ぎない草であろう。庭園化した庭には姿は無い。

 先に話題とした林源十郎商店で展示されていた江戸時代の薬箪笥、この箪笥で、物好きにも276個と数えた数多い小引き出しには、見出し紙上に、それぞれ当時の漢方生薬名が記されていた。もちろん読み辛くなったものや、見出し紙が剥げ落ちたものもかなりはあったが・・・・

 その生薬名の中で、気になっていた二つの名前を探したのである。一つはドクダミの「十薬」、もう一つはトリカブトの「附子」・・・どーも、この多くの引き出しの中には、二つとも無かったようだ・・・

 江戸時代、漢方の生薬として扱われていた薬がどれだけあったのかは、全く門外漢の筆者には分からないがドクダミなどは、当時の薬店でわざわざ扱うほどのものでは、無かったのであろう。もしあったとしても、煎じ薬として使用する場合は、かなりな量の乾燥葉茎が必要なため、貴重な生薬入れの薬箪笥の小引き出しに入るような量のものではないはず。大量にどこか別所に置かれていたものだろう。

 しかし庶民にとっては、即効薬ではなくとも、何かの薬効が感じられたものであったら、薬代の不要な、身近な草である。様々な薬として、重宝されたのではなかろうか。例えそれが気分の部分があるものであっても・・・だからこそ「十の薬」と呼ばれたのでは・・・・

 そうして街角の日陰の僅かな土地であっても、江戸時代以来、根を張ったこの薬草は私たちの暮らしと共に、生き続けてきたのでは・・・現代人には臭い雑草としか見えないだろうが。

 初夏、江戸時代の倉敷の長屋の軒陰に、ドクダミの小束が風に揺らいでいる、庶民のささやかな常備薬作り・・・・そういえば、岡山県北の山地近くに住まった、終戦直後の頃、山で採集した「ゲンノショウコ」を陰干しにしていた。その煎じ液は、本当に良く効く下痢止めであった・・まさに「現の証拠」が明確・・・

 「も~し も~し トリカブトの方はどうなっている??」・・・「すみません・また次回になりました。」

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