(69) あの穴はなに? - よもやまばなし

(69) あの穴はなに?
2009/12/1

 つい先日、当館に入館された方が帰りに受付へ立ち寄られ、ちょっと質問された。小さい博物館なので、質問もし易いのか、よく来館者の方からさまざまな質問を受ける。あまりサービスも無い当館なので、せめて質問にはと、出来るだけのお答えはするようにしている。時には大変専門的な質問もあり、つい話が長くなることもあり、時には、質問でなく、薀蓄を熱心に語られることもある。

芋岡山遺跡出土の高坏真上から写す。
上段と下段の違いに注目

 先日の質問は、指で土器の形を描きながら、「展示されていたこのような土器に、穴が開いているのは何故ですか」ということだった。宙に描かれた形は、すぐに高坏を指していることがわかった。とりあえず高坏ということを確かめると、その脚部分の穴のことが気に掛かっていたようだった。それは飾りのようなもの、と説明したらすぐ納得されたのだが、「上の真ん中の穴は何ですか」といわれる。一瞬、質問の対象が、高坏でなく器台のことだったのかと思ったが、様子を良く聞いていると、芋岡山遺跡の土器一括を展示している部分の高坏のことだった。

 思わず「よく気づかれました」といったのは失礼なことだったかもしれないが、話からは考古学専門で無い方と思われた人が、このような部分にまで気付かれている、その観察力に驚いたのである。

 と言うのも、その高坏は少し高い位置に展示していて、上の坏部分の内面を見るのは、かなりな注意が必要であった。また同じようなものが数点ありながら、上の坏部分の中央に穴を持つものは、数少なかったのである。左上はその両者を真上から写した写真だが、小さい写真では、分かり辛いようなものであろう。下段の2点が穴あきである。

 芋岡山遺跡は、この同じホームページ内の「主な調査と展示品」でも説明しているが、岡山県小田郡矢掛町にあり、吉備地方で埴輪の起源として注目された、特殊器台や特殊壷が広く注目されるきっかけともなった遺跡の一つである。この遺跡は1959年、当館で周辺の古墳を調査した際発見、1966年に調査し、『倉敷考古館研究集報 第3号』1967年で報告している。

 今から見れば40年以上も昔の話であり、この遺跡は報告以来、長く注目され、『調査と展示品』で写真に示している器台と特殊壷などは、どれほどの展示会に出張したことか。われわれの手による、あまり美しくも無い石膏復原部分や、そこにポスターカラーだけで、簡単に色付けをしたに過ぎないこれらの土器が、そのままそっくりで国立の博物館でレプリカとなっている。しかし近年では、その後発見の同類の土器が増える中で、この土器も忘れられていっているようだ

 問題の高坏はこの遺跡の中心部、埋葬部分がある尾根の頂部を区切るように掘られた溝の中から発見された。この弥生時代末の墳墓域には18基の埋葬が集中しており、その先にも10基ばかりの埋葬があった。この埋葬域を区切っていた溝の中に、死者への供え物としての高坏やら甕・壷・小形器台などの14個もの土器が並べられていたのである。

 これらの土器の半数を占めた高坏は、形が2種類あった。その内の大きなものの方にだけ中央をわざわざ欠いて穴を開けていたのである。高坏の作り方で、後から中央に粘土を貼り付けていたものが、後に剥げ落ちた結果の穴ではない。ほぼ一列に溝の中に並べられた土器群の間に一つかなり大きな石があり、種類の違う高坏はこの石を境に分かれていた。他の土器の形には、特に区別は無かった。

 二つの別のグループというか、別家族というか、そうした人々の供え物だったかのようである。この頃以後の墓に供えた土器に、わざわざ穴を開ける風習が始まっていたことは、この「よもやま話12」でも取り上げているので参照いただきたい。

 芋岡山遺跡でも、いま話題にしている溝から出土した甕・壷で、分かるものすべてに打ち欠きによる穿孔があった。しかし高坏では一部分だけにしか、穿孔はなかった。この細かい違いの現象は、あの世とこの世の区別を強く意識した家族と、そうでもなかった家族での偶然の結果だったのだろうか・・・・

 それとも一方の家族では、葬送の時、小形器台を用意してなくて、高坏の真ん中に穴を開けて器台と見せかけたものか、高坏と器台は共に上に物を載せる器形であるから、外観は似ている・・・・

 となりグループでは、綺麗な丹塗りの小形器台の上に、かなり大きな甕をのせている。器台を持たなかったグループでは立派な丹塗りの壷は用意していたが器台は無い。慌ててやや大形高坏で器台の代用品を作ったのか・・・・・真実のところは分からない。

 質問された方には申し訳なかったが「あの世とこの世を区別するためでしょう」ということだけの説明にしたら、すぐ納得していただけた。

 とはいえ案外おおきな墓で、自分たち一族の力を、誇示しようとするような時代がそこまできている頃である。飾られた特殊器台や壷を作り、中身より外見を飾った供え物がされる時代になっているのだ。あの穴あけ高坏も精一杯の見栄だったのでは・・・と思いたいのは現代人の性悪であろうか・・・

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